NTNの武装ヘリは上大岡を飛びすぎると急降下した。NOE(這伏飛行)に移る。海岸沿いに伸びる国道16号を超低空超高速で飛行する。標的の位置は保安本部からリアルタイムで伝えられた。横須賀支社から出た監視ヘリが離れて追跡をしていた。監視ヘリの捉えた暗視映像は幕張のNTN保安本部を経由して武装ヘリに伝えられた。
操縦士はその映像を見て、標的だと判断した。屋根にある穴は銃痕に間違いなかった。穴が小さいのは、屋根が薄すぎたため、炸薬が発火する前に弾が突き抜けたからだ。
「本部から指令」射手が言う「標的を確実に確保せよ。以上」
「了解。FCS(火器管制システム)リミッタを解除。そちらに制御を戻す」
「FCSコントロール確認。アーマメントシステム、オン」
「標的まで2500。1分後接触」
「了解」
射手のバイザーに照準レチクルが緑色に輝き、浮かぶ。照準はまだ見えない標的に合わせられる。
操縦士の目には2キロ先の標的がありありと見える。異様に縮んだパースペクティブ。TISS(戦術情報支援システム)が合成した偽りの視覚。虹彩の動きを捉えて、自在にズームし、分析する。
「標的が気づいた。機動している」
「了解」
その頃には射手の目にも水銀灯の光に照らされた車が見える。
「標的視認」
「100まで撃つな」
「了解」
遠くから撃てば射角が浅くなり、乗員を撃ち抜いてしまう。いよいよとなればそうするつもりだが、本部の指令が優先する。
水口は後ろを振り返って、シートにしがみついていた。
「近づいてくるよっ」
榊には答える余裕がない。ギア操作をセミオートにする。磯子区行政センター前を通過する。
「どうするの」
しかし、榊にも名案はない。アクセルをベタ踏みする。信号を幾つも無視するが、TYISPからの警告が無い。NTNがセンサを遮断しているということに気づき、ぞっとする。
バックミラーにヘリのシルエットが暗く大きく迫る。榊はハンドルを切った。遠心力に抗って、アクティブサスが大きく伸びる。前輪と後輪が独立して操舵される。
「グローブボックスを開けろ」
水口はきょとんとしたが、慌てて言われた通りにする。
「開けたよ」
「電話のスイッチを入れろ」
「電話が2つあるよ」
「赤いほうだ」
「入れた」
車は屏風浦駅そばのゲートをくぐる。轟音。水口が悲鳴を上げる。リアウインドウが砕け散った。助手席フロントガラスに車両モニタからの警告。融雪装置故障‥‥。
「ボックスの中に電話端末がある。使い方はわかるな」
「どうするの」
「スイッチを入れろ」
車は坂道を登る。速度がみるみる落ちる。
「入れた」
ダッシュボードが開き、ディスプレイがせり上がる。
「インカムを俺につけてくれ」
後部のトランクが火花を上げる。ホールド機構が破壊され、トランクの蓋が跳ね飛んだ。水口が身をすくめる。
「早く!」
榊は怒鳴った。水口はふるえながらインカムを榊の頭にかぶせる。ハムノイズが耳に届く。ネットの吐息。
「ディスクを端末にセットしろ」
「ディスク‥‥」
「あんたのお宝だ。早く」
坂を登り切る。ヘリが頭上を越え、前に出る。毒づきながらハンドルを切る。ターン。タイヤが悲鳴を上げる。姿勢保持機構も支えきれず、テールが流れる。4WCがうまく働かず、細かく蛇行する。下り坂。シフトダウン。そのシフト動作はミッションコントローラに伝えられ、コントローラ側で同期をとってシフトダウンする。
水口は頭をダッシュボードにぶつけながらも、MOディスクを車載コンピュータにセットしようとしていた。
車間無線が鳴る。
「横浜23・C2344、停止しろ。指示に従わねば、実力で阻止する」
「いきなりぶっぱなす奴は信用しないんだ」
右フェンダーアイが打ち抜かれる。車両モニタは車体の障害項目をリストアップする。‥‥フレームに異常圧力、左後輪アライメント異常、ブレーキオイル異常加熱、後部左右サスペンション油圧低下、右フェンダーアイ故障、融雪装置故障、トランクルーム・ドアホールド装置故障‥‥。
車体が跳ね、水口はフロントガラスに頭をぶつける。
「大丈夫か」
「舌噛んだ」
「バカ」
榊は車を横道に入れる。道の両側は廃屋の並ぶ無人地帯。エコノ・エコ・プランに従い、一部で植林が始まっている。
NTNのヘリは廃屋の屋根をかすめるように低く飛ぶ。
「セットした」
「車間無線を切ってくれ」
水口はそうする。
「テル」榊は車載コンピュータに口頭で指令する「くらっど」
インカムにコールバック音が鳴る。
「今電話したって、盗聴されるだけよ」
榊は答えない。車を路地に入れ、でたらめに走る。ときおりヘリが発砲するが、当たらない。
インカムの向こうで受話器を取る音。
「もしもし」
「朝早く済まない。〈べおうるふ〉だ」
「何の用だ」
「BBS緊急」
「なに?」
電話の向こうの声は眠たげで、榊はいらだつ。その時ヘリが発砲し、左フェンダーアイが打ち抜かれる。轟音。
「何の音だ」
「NTN保安チームだ。起きろ。BBS緊急。データ転送、配布、無制限」
「わかった。ちょっと待て」
受話器を置くゴトンという音が響く。
「盗聴されてるよ、相手の人も捕まる」
「大丈夫だ、こいつはレンタル」
榊は小声で言う。しかも非合法。この車載電話を榊が使っていることをNTNは知らない。インカムに声が戻る。
「OK。送ってくれ。こっちで加工する」
「いや、こっちで暗号化しておく。頼む」
榊は口笛を吹いた。その音を車載コンピュータが捉えて、ルーティンが起動する。MOディスクの内容を暗号化してデジタル送信する。送信は2分程で終わった。
「OK。受け取った。加工して、他のサイトに送る。30分もすれば関東全域に伝わる」
「頼む」
「このデータはなんだい」
「まだ言えない」
電話を切った。
「どうするつもり」
「噛みついてやるのさ」
榊はブレーキを踏んだ。ギアをニュートラルへ。車間無線を入れる。
「何するの!」
水口が叫ぶが、榊は無視する。車間無線をオン。
「NTN、聞こえているだろ」
『投降するか』
「いや。取引だ」
『取引するものがあるのか』
「プライムキー」
『貴様達ごと消してしまうこともできる』
ヘリがゆっくりと車の前に出てきた。あいかわらず音がしない。ぶらさがった銃身が神経質に動いている。
「あのデータはアングラネットに流した」
『ちょっと待て』無線の声が慌てたように言い、別の声に代わった。『わたしはNTN保安部長の橿原だ。榊君。君のプロフィールを知っている』
「光栄です」
『なぜこんなことを』
「いきがかりでね」
『君の信用はゼロになったよ』
「命を失うよりはましです」
実際のところ、榊にとっては大きな痛手なのだが、そんなことはおくびにも出せない。
『アングラネットに流したと言ったな。それがなにを意味するのか判っているんだろうな』
「十分すぎるほどね」
『君はテロリストだ』
「待て。流したのは暗号化したデータだ。複号キーは隠してある」
『どういうことだ』
「だから、取引だ。私達のどちらかが死ねば、あるいは、暗号化データのわたった非合法サイトが摘発されれば、複号キーを持ったワームがネットを喰い荒らして、データを一斉に出現させる」
『甘いぞ。こちらは時間さえあればデータを無効化できる』
「プライムキーがプライム(素数)キーと呼ばれるのは、キーを乱数で選ぶ事ができないからだ。すべてのプライムキーを一新することはできない」
応えは無かった。
「私を信用してくれとしか言えない。私もこの世界で飯を喰っている人間だ。ネットワークの混乱は避けたい。だが、何よりも自分の命だ」
『勝手なものだな』
「人は相応の報いを受けるものだ」
『何だって』
「自分の胸に聞けと言ったのさ。たかが数字の列のために人を殺しているんだぞ、あんた達は」
『非合法サイトがどうこうと言ったな、アングラネットは社会にとっての潜在的な脅威だぞ。お前たちは見逃してやってもいい。しかしアングラネットはだめだ』
榊の隣で、水口が拳を震わせる。榊はその拳に軽く手をかぶせ、なだめる。
「データを所有物だと認めないグループがあることは知っている。それについては問わない。しかし、殆どのネットはデータの所有権を認めている」
『我々の技術情報が出回ったことがあるのは調査済みだ』
「それがすべてのサイトに当てはまるわけじゃない。ルールはもっと厳密に使え」
しばらくの間。
『優秀なデータリサーチャーだが、惜しいな』
「職を失うことは覚悟したさ」
『ふん。‥‥今報告があった。我々の監視下にあるネットでデータ登録が盛んになっている。これが全部そうなのか』
「さぁね。非文書データや、実行プログラムにはたいてい潜り込んでいるだろう。見かけは人畜無害なデータだよ。どうする、削除するのか」
空電。
『‥‥そんなことをすれば、表現の自由に抵触する。お手上げだ』
榊は低く笑った。表現の自由だって?
「決まりだな。私たちに危害が加われば、ワームが発動する。ネットはプライムキーであふれかえるぞ」
『判った。‥‥ワームはどうやって君達に危害が加わったことを知るんだ』
「教えられないね。手段はいくらでもある。想像をたくましくすることだ」
『いいだろう。君を信用しよう。しかし、我々のシステムに異常があれば、君が真っ先に疑われる」
「損な役まわりだな」
『助かっただけでもありがたく思うことだ。いいな、決して公開するな』
「そちらも手をだすな」
『承知している』
空電。通信は終わった。ヘリがゆっくり上昇していく。榊は無線、電話の電源を切り、ぐったりとハンドルにもたれかかった。
「終わったの」
水口が呆然とつぶやいた。
「終わった。助かったよ」
榊はシートに座りなおした。ギアをいれる。がクラッチを踏み忘れ、エンジンが止まった。その時になって榊は自分の手が震えていることに気が付いた。