ナイトラニング
7.

 榊は車を国道16号に沿って南へと走らせる。伊勢崎町のきちがいじみた光の洪水はおさまり、贅沢に土地を使った住宅地へと入る。家々の敷地には樹木がふんだんに植えられ、家人のプライバシーを守る。樹木のうち何本かは、対無線盗聴装置用に偽装されたものだ。優秀な社員は企業にとってかけがえのない財産であり、系列は自分の財産を守るのに出費を惜しまない。
 車は死んだように寝静まった通りを走る。堀割川が地下から表れ、国道と平行して流れている。この先、道はT字に別れる。右折すればYSP出口。そこでもういちど、車がチェックされることになる。
 電話のベルが鳴った。榊と水口はぎょっとなった。榊は片手でグローブボックスを開くと、中に手を突っ込み、車載電話の電源を切った。
「なんで取らないの」
「NTNが探している」
「どういうこと」
 飲み込みの悪さに榊は一瞬いらだちを覚え、相手が単なる素人であることに思い当たった。
「電話の呼出にはその応答がある。コールバックだ。コールバックはNTNの交換局との間でやりとりされる。無線電話の位置は普通判らないが、コールバックがあるとき、どの無線局にコールバックがあるかで、だいたいの位置がつかめる。一つの無線局の管理エリアは直径約500メートル。電話は移動しているから、移動するにつれてコールバックの相手局も切り替わる。その切り替わりを追跡していけばどの道を使っているかが判る」
「何でそんなこと知っているの」
「つてがあるのさ」
 榊はそのことを知っているのは仕事上の必要からだが、説明する気にはなれなかった。
 車はつきあたりに着いた。水素燃料生産プラントが無数のライトに照らされて浮かび上がる。右折する。
「これでYSPSに記録が残った。NTNに手がかりが残ったわけだ。すぐに追手がかかる」
 水口は無言だった。
「水口‥‥さん。ずいぶん派手なことをしたが、実のところ、こういうことには素人なんだろう」
「わかるの」
「俺はデータリサーチを生業としている。裏の世界も、そこの住人もよく知っている。話しかた、雰囲気とか、そういったことをね。だが、あんたにはそんなところが無い」
「その通りね」水口は素直に認めた「ついこの間まではね。普通の学生だったのよ」
「復讐と言ったな。どういうことだ」
「言葉通りよ。シンパシーネットって知ってる?」
「噂だけは。アクセスしたことは無い」
 左手には湾岸沿いに広がる様々な工業プラント、食料プラントが威容を誇っている。東京湾島への着陸進路を取る旅客機の赤い航空灯が見えた。
 榊は水口の頬が濡れていることに気が付き、とまどいを覚えた。彼女は静かに泣いていた。
「シンパシーネットは個人運営のこじまんりしたコミュニティサイトだったわ。自前でサーバーを構えてた。上流回線はNTNIIでね。ユーザー数も3ケタを越えるか越えないか位。ごく常識的な人達だった。でも、データ通信規制法が敷かれて、NTNの認可を受けないコミュニティサイトは非合法ということになったでしょう」
「ばかな話だ」
「そう思う。シンパシーネットの人たちもそう思った。そして運営を続け、NTNに摘発された」
「管理者は自殺した」
「それしかなかったのよ。NTNのブラックリストに載った人間を雇うところは無いし、社会与信(クレジット)も剥奪された。想像できる? クレジットが無ければ何も買えないの。畑を作るにしても、その種は買わなくちゃならない。どこかに出かける時はわたしのクレジットで払ったのよ」
「君は管理者の知り合いなのか」
「兄よ」

 保安本部からの情報に従って、武装ヘリは磯子へ急行する。
 上大岡の職住複合ビルをかすめる。丘の斜面を覆う閉鎖環境。1万人が住み、働く。窓は一つも無い。
 人口の丘を飛び越えると、黒い地平に輝く帯があらわれる。海岸沿いに伸びる工業・食料プラントの明かり。その向こうには漆黒の闇が横たわり、さらに遠く、その闇を挟んで、きらめく帯がほのかに輝く。木更津を中心に広がる生化学プラント群の明かり。
「TYISP、コード10を傍受。西区浅間町4街でガス爆発発生。さっきのガススタンドだ。TYSIPの監視ヘリが現場に急行。各移動が現場周辺を封鎖しつつあり」
「遅延炸薬でも使ったのか」
「対人地雷じゃあるまいし‥‥。本部からだ。今のは陽動だとさ」
「毎度の親心には痛みいるね」
「派手だな‥‥」
「退けないってことさ」
 ヘリはNTN保安本部からの情報に従い、音もなく飛んだ。

「シンパシーネットのサーバーマシンはわたしの家の2階にあったわ」
 水口は静かに話し続けた。
「兄が捕まって自殺した後、引っ越ししてマシンも捨てたけど。わたしがまだ中等学校に通っていた頃は、退屈すると兄の部屋に忍び込んでマシンをいじっていた。インカムつけてね。わたしがネットに書き込む時はサインが兄のIDになるから、いつも後になって怒られたわ。でも、いつのまにかネットの人たちのほうがわたしの文体を覚えてくれて、ちゃんと区別してくれたの。わたし、人気者だったのよ」
「自分のIDは持たなかったのかい」
「高等学校に入ってから、いつまでも同じIDじゃマズイからって正式に登録してくれた。わたしはどっちでも良かったけど、兄はそう思わなかったのね。とにかく、わたしはちゃんとしたIDをもらって、正式のユーザーになったわけ。それから、1週間くらいだったかな。データ通信規制法案が国会に出されて、あっというまに成立した」
「国会は‥‥国家運営委員会は飾りみたいなものだから」
「あの法律で、一般に公開されているデータベースはそこにあるデータの出所と正確性を明かにしなくてはいけなかったでしょ。で、BBSがそのデータベースってことになって‥‥でもふだん話すときに情報の裏付けなんて考えないでしょう」
「監査を受けることは考えなかったのか」
「わたしは良く知らないけど、情報監査ってNTNに申請してから実際に監査されるまで、何ヵ月もかかるでしょう。待っている間は、サーバーを止めていなくてはならないし。兄も一回監査申請を出したけど、待たされるし監査後はほとんどの発言が不正確ということになって、削除されてしまって。おまけに、警告書までもらってしまって」
「警告書?」
「よそのサーバーから転載された情報が幾つかあって、それが知的財産所有権保護法に触れるって」
「ああ、あれか」
 その法律は榊にとってなじみ深いものだった。もともと企業の研究成果等を保護するため、特許保護法や、著作権保護法その他諸々から派生したものだった。その主目的はデータ窃盗を防ぐことにある。そしてデータ通信規制法は通信回線を流れるデータを対象としたものであり、この2つの法律によって、ほとんどのBBSや個人ウェブサイト――要するに公権力によってオーソライズされていないオンラインコミュニティは非合法とされた。
 あおりを受けて、中小のISP業者やサーバーリセラー業者は軒並み倒産に追い込まれた。残ったのはNTNや系列が経営する大型商用BBSやISPのみ。インターネットはかろうじて生き残った形になっているが、海外へのゲートウェイはNTNの厳重な監視下に置かれている。
「でも、別に誰かに迷惑かけたわけじゃないのに、変だと思わない?」
 榊は答えなかった。あの頃の榊はデータリサーチャーとして独立したてで、やたらと業界内部の情報集めに熱中していた。まだ、情報そのものの質に無頓着だった頃だ。とまれ、そのおかげで榊は〈データ通信規制法〉が施行されるに至った経緯を知っていた。それは複雑に入り組んだ物語であり、簡単に説明することはできない。しかし、その背後にある心理的な動機は恐怖だった。制御できないメディアに対する恐怖。
 前世紀から生き残った旧マスコミは系列の傘下に入り、巨大な広告塔と化していた。そんな中で、唯一残った自由なメディアがBBS、特に、いずれの資本からも独立した個人運営のBBSだった。〈データ通信規制法〉はそのメディアに対する最終兵器だった。――制御できなければ、消してしまえ。
「‥‥警告書をもらって、兄は怒ったわ。当然よ。削除されたデータは誰の利益になるものでもないし、誰かに被害を与えるものでもなかった。それで、兄は運営を続けた」
「あの時はほとんどのシスオペがそう感じていたよ」
「兄は運営を続けて、2度めの監査勧告が届いたわ。兄は無視して‥‥それがまずかったのね。ある朝突然、家のドアを打ち破ってNTNが押し入って、マシンを押収して、兄も逮捕してしまった。マシンはすぐ返ってきたけど、兄はしばらく帰ってこなかった。1週間して兄は帰って来たけど、しばらくは惚けたようになっていた。‥‥あとになって訊いたら、知覚擾乱装置にかけられっぱなしだったって。光を痛みに感じて、音を見て、臭いを聞いたって‥‥それが1週間ずっと。装置が止められるのは事情聴取される時だけだったんだって‥‥」
 そこまで話して水口は声を上げて泣きだした。
「‥‥眠っている時も、起きている時もずっと‥‥自分が起きているのかすら判らなくなっていたんだって‥‥でも幻覚だから傷跡もなにも残らない‥‥」
 ハンドルを握る手に力がこもる。榊は車を道ばたに寄せた。
「‥‥兄が逮捕されたことはすぐに知れ渡ったわ。仕事は失った。オフライン(地域)コミュニティからも除名された。社会IDもクレジットも剥奪された‥‥」
 榊はシートの後ろからまだ汚れていないタオルを取り、水口に差し出した。水口はタオルに顔を埋める。くぐもった嗚咽だけが榊の耳に届いた。
 やがて水口は呼吸を落ちつけ、顔を上げた。目を真っ赤にはらしている。
「それでもシンパシーネットのメンバーのうち、何人かはわたしたちを助けてくれていた。本当にシンパシー(共感)があったのよ。わたしの中には怒りがあって、それがみんなに伝わっていた。メンバーの中にはNTNの社員もいて‥‥」
「名前は」
 思わず榊はそう言ってしまい、訊いた自分を恥じる。
「‥‥いや、答えなくていい。とにかくその人物からプライムキーをもらった」
 水口は頷く。
「それを使って何をするか、本当にまだ決めていないのか」
「何ができるか、いろいろ聞かされたわ。でも、わたし一人では何もできやし
ない」
「ネットのメンバーは?」
 水口はすぐには答えなかった。タオルで目尻を拭く。
「みんな捕まった。プライムキーをコピーしてくれた人も。みんな。誰もいない」
「何をしたい。NTN帝国の破壊? 通信電話網を壊滅させられるぞ」
「それも考えたけど、そうしたところで、また別のNTNが現れるだけ。それでは意味が無い」
「それで、商売か‥‥誰に売る。ヤバすぎて買い手は少ないぞ」
「NTNとか‥‥。わたしは昔みたいに戻って欲しいの。気持ち悪いくらいにお行儀のいいサイトしかないのではなくて、多少行儀の悪いコミュニティサイトも許されるような」
「完全に戻ることなんて有り得ないぞ」
 榊は言った。水口が驚いたように榊を見る。
「データは物ではない。物ではないから、所有物という感覚は薄い。しかし、誰かが作ったモノであることに違いはない。今の体制はそのことをはっきりさせた。データは誰かの所有物なんだ」
「でも、知る権利は」
「知られたくない権利もある。プライヴァシー保護法があるからな。どこで線を引くかは、別問題だが‥‥。とにかく、今はそうした考えが一般化している。ネットを自由化しても昔のようにはならないよ。お行儀のいいものになるだろうね」
「でも、データを公開すればみんなの利益になるようなデータも独占されているのよ」
「だから公開しろって? それは、みんなの役にたつから、俺の車を誰が使ってもよいことにしろ、と言っているのと同じだぞ」
「データは複製がとれるじゃない」
「企業はデータで商売するんだ。あるデータに価値があるのは、そのデータが他に無い時だけだ。今持っているプライムキーにしても、価値があるのはNTNを除けば俺たちしか持っていないからじゃないか。誰もが持っていたら誰が買う?」
 水口は答えなかった。
「今は情報資本主義の時代だからな。そりゃ、何でもタダで手に入ればそれに越したことはないさ。でも、生きていくには身銭を稼がないと。そのためには自分のデータは守らなくてはならないし、相手のデータも守らなくてはいけない。それがルールだ」
「兄は殺されたのよ」
「そして俺たちもその後をびったりと着けている」
「いったい誰の味方なの」
「俺は‥‥」榊は口ごもった「俺はたぶん、ルールの味方なんだ」
「何それ」
「さあな‥‥」バックミラーをちらりと見る「説明する暇は無くなった」
 急発進。タイヤが鳴る。ゴムの焼ける臭いが鼻をつく。
「どうしたのっ」
「NTN」

'In Night Running'
Satoshi Saitou
Create : 1992.12.01
Publish: 2010.07.04
Edition: 3
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