ナイトラニング
3.

 東神奈川駅上空をヘリが飛ぶ。水素ガスタービンエンジン、二重反転ローター、マットブラックの機体。2人乗りタンデムのコクピットが前に突き出し、灯の消えたサーチライトと凶々しい機銃をぶら下げている。尾部にはコクピットとつりあいを取るように装甲に覆われた金属水素燃料タンクとECM(対電子装置)、ECCM(対々電子装置)機器を納めたポッドが突き出している。機体下部には、今は後ろ向きに倒れている長いロッドがあり、その先端には小型カメラがあった。
 飛行音はない。ローターブレード(回転翼)が作る独特の音を、その位相を反転させた音を発生させることで打ち消していた。TYISPの近接警戒レーダーに対しても、塗料がそのレーダー波を吸収するため、捉えられることはない。エンジンの排気口にも耐熱セラミックでカバーされた熱トラップがとりつけられ、赤外線でも追跡は難しい。
 コクピットの前席には射手が座り、操縦士は後席に座る。操縦士を保護することで生存率を高めるための配慮だ。このヘリは初めから戦闘用として設計されていた。実際、アフリカ東部で国連軍が運用している。
 ヘリの射手は警察無線を傍受していた。TYISPの使用する無線器はインタリーブ方式によるスクランブラ(暗号化装置)が備えてあるが、ヘリに登載された無線機は易々とその無線を複号する。
「TYISPは完全に後手にまわった。今、天王町の交機基地から増援が出た。新横浜通りで阻止する作戦だ。間に合うのか?」
「監視ヘリが接近している。11-0-0、2000」
 操縦士には視聴覚インターフェースが埋め込まれ、ヘリのセンサからの情報が五感として伝えられる。彼の目にはTYISPの監視ヘリが明るい点に見える。エンジンの熱のためだ。その排気ガスが明るい帯となって長くたなびく。
「平沼橋まで後退だ」
「警察に渡すのか」
「そうなったら、外交班の出番だ。俺たちは標的が逃げ切らないようにするのが役目」
「了解了解」
 操縦士はヘリを反転させる。
「追跡班はどうしたかな」
「2名重傷。残りは警察に事情聴取されている」
「そうか」
 射手は、操縦士がくそっと呟くのを聞く。
 ヘリは全速で平沼橋上空へ向かう。

 榊は浦島町を過ぎたあたりで新横浜通りの阻止線を知る。TYISPの交機は重装備で、慈悲がない。
 あの単コロはどこへ行くつもりだ? 榊は自問する。青木橋を渡ってイチコクを上るか? しかし、追跡班が尻手基地から国道1号を、小机基地からは上麻生線をそれぞれ東神奈川へ向かっている。普警のパトカーも主要交差点を抑えつつある。その状況はTYISPからの交通付加情報を通してリアルタイムに知ることができた。包囲網は狭まりつつある。
 やつはどこへ行く。
 水銀のようなバイクは榊の前方20メートルを走る。今の速度を考えれば近すぎる車間距離だが仕方ない。
「聞こえているんだろう」榊は呟く「袋のねずみだ。TYISPとかちあう前に止まる方が利口だぞ‥‥」
『あら、そう』
 間髪をいれずに女の声。そのからかうような口調に榊はかっとなる。
 さらに増速。ナビゲーションシステムが悲鳴にも似た速度警告サインをフロントガラスに明滅させる。旧神奈川署前を通過。神奈川公園前を通過。バイクが右へ大きくバンク。テールランプが流れる。青木橋を渡るのか? 榊は後を追う。サスペンションが車体を傾ける。タイヤが悲鳴を上げながら接地面積を増やそう努力する。
 バイクは次の三叉路を右へ。その先は東海トラフィックラインを跨ぐ陸橋。バイクのブレーキランプが明滅する。相対速度がみるみる増加し、榊もブレーキを踏む。
 右か左か。右は東京、左は横浜複合ビル内へ。どっちにしろ、袋の鼠‥‥。
 テールランプが橋の向こうで左に流れる。

「標的は複合ビルに入った」射手は無線を聞きながら言った「TYISPがビルの管理コンピュータと交渉している‥‥北幸、北幸橋、内海橋、南幸橋のシャッターが降り始めた」
「チェックだ」操縦士が言う「あっけないな」
 操縦士の視覚には、横浜駅西口にそびえる巨大なビルブロックがはっきりと映る。駅ビルという単純なものではない。横浜駅西側の、かつて高島1丁目、北幸1丁目と呼ばれた、一辺約600メートルの三角形の区画がそのままビルの敷地になっている。ビルの中にはかつての道路がそのまま残されている。昼間は2万人を収容し、横浜特別行政区の非系列企業群や海外企業への情報的な橋頭堡として機能する。情報の要塞。視覚スペクトルをマイクロ波まで落とせば、屋上のパラボラから洩れるサイドローブで燈台のように見えるだろう。
「おかしい」
 射手がつぶやく。
「TYISPが標的をロスト‥‥管理コンピュータも見失っている」
 消えるわけはない。
「考えろ」操縦士は呟く「考えろ‥‥」

 榊はバイクのテールランプがビルの中に消えた時点で追跡をあきらめた。もう捕まったも同然だからだ。鶴屋橋前でテールランプを見送る榊の目の前でシャッターが降りていく。
 バカなやつだ。
 榊は車を川沿いに進めた。車両制御はいつも通りのマニュアルに戻っている。
 助手席に投影したままになっているグラフィックでは、新横浜通りの阻止線が縮小されていく様子が表示されていた。駅ビルに逃げ込むつもりだったのか? しかし駅ビルの警備システムは優秀だ。
 近道のつもりだったんだろうか。
 川を挟んで向こう側はそびえる絶壁になっていた。高速2号三沢線もその壁の中を走る。
 TYISPの阻止線は完全にビルの南側を封鎖していた。おそらく、内海橋ゲートのシャッターを上げ、そこから突入するのだろう。
 榊はアクセルを踏み込んだ。一旦環状1号に出てから新横浜通りに入り、関内へ向かうつもりだった。デジタル時計は午前2時半になろうとしていた。
 まいったな。
 神経がたかぶって眠気は吹き飛んでいた。西口ランプ前を通り過ぎる。水銀灯の硬い光に照らされた街はどこか現実味に欠けている。まるでセットの中を走っているようだった。
 浅間下交差点で停車した。ここを左折し、道なりにまっすぐ行けば関内に出る。
 退屈はまぎれたか‥‥。これで、ビルに抜け道でもあれば面白いのだが。
 榊ははっとする。抜け道は‥‥ある。
 やつは抜け道を出た後、どうする。‥‥燃料を補給するか?
 榊はロードマップを詳細表示させる。最寄りのガス・ステーションを確認する。たぶん、目立たない所を利用するだろう‥‥。
 やつはそこにいる。

'In Night Running'
Satoshi Saitou
Create : 1992.12.01
Publish: 2010.07.04
Edition: 3
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