ナイトラニング
6.

 NTNの武装ヘリは国道16号に沿うように北西に向かって飛んでいた。標的を乗せた車は人口密集地を避けると判断したからだ。標的をロストしたのは環状1号と国道16号の交差点付近であり、その判断は妥当なように思えた。環状1号をそのまま南西に進めば保土ヶ谷の紫水社員街で行き止まりになる。国道16号を南下すれば、TYISPの監視が厳しくなる。横浜複合ビルでの消失がはっきりした時点で、検問が張られるわけで、そちらへ向かうとは考えにくかった。むしろ、検問にかかってくれるほうが手間が省ける。
 ヘリは横浜新道を飛び越え、東海トラフィックの東海道貨物幹線を飛び越えようとしていた。操縦士は電子的に光度増幅された画像を通して、地上を見る。こんな時間まで走る車はさすがに少ない。しかし、屋根に穴の開いた車は見あたらない。予測ではとうに追いついている地点だった。
「TYISPが橋に検問を敷いた」
 射手が言う。
「橋?」
「新田間川、帷子川の全ての橋だ」
 操縦士は毒づく。
「手遅れだ。車のナンバーは記録されていないな」
「狩場、保土ヶ谷、三ツ沢、いずれのインターでも記録無し」
「持ち主は」
「榊明。優秀なデータリサーチャーだ。個人営業では特Aクラス。戸塚在住。なんでこんな人間が出てくるんだ。我々側の人間だぞ。こいつは」
「事情があるかもしれんさ。戸塚のどこだって」
「戸塚区上倉田町1085‥‥東海道線が地下に潜るあたりだ。一等地だぜ」
「知ってる。我々側の人間らしいが、俺達の同類じゃないな‥‥そこへ行く。イチコクを使うとして、標的の位置を推定できるか」
「問い合わせる」射手は目標の位置をNTNのサービスコンピュータに推測させる。「‥‥平戸に入ったあたりだ」
「了解」
 操縦士はヘリを南に向ける。燃料が心細くなってきていた。舞丘で補給しなくてはならない。操縦士は判断した。だが、そんな余裕があるのか、操縦士には判らなかった。

 車が緑地帯を抜けると、道は急な下り坂になる。目の前に伊勢崎町から関内へと続く、輝く回廊が横たわる。回廊は関内の行政センター地区から始まり、幾つもの中高層ビルと幾層ものペデストリアンデッキ、幻惑させるイルミネーションの渦を従え、伊勢崎町のマスショッピング区画――イセザキスーパーモールへと続く。
 伊勢崎町は食料、衣料、医薬品、雑貨、情報、宝飾品すべてを扱う供給地区だった。そこに無いものは無い。それらの購買者は横浜運営に参画している大型コングロマリット数社とその系列グループ企業群の終身社員であり、彼らの街は回廊の向こう、本牧から南に向けて広がり、なお広がり続けている。保土ヶ谷とは違い、本牧では各社の社宅、社員寮、系列学校が混在していた。会社人はあの地で生まれ、育ち、死んでいく。
 車のナビゲーションシステムが交通情報のソースがTYISPからYSPS(横浜特別行政地区サービス)に切り替わったことを告げた。榊のハンドルを握る手に力が加わる。YSPの交通情報センターに榊の車が管轄区域に入ったことが記録されたということに思い当たったからだ。NTNなら、相手があのNTNなら、YSPの管理する情報を見ることなどたやすいだろう。
「なぜ杉田なんだ」
 榊は呟いた。
「え?」
「YSPの交通管理センターがこの車をチェックした。そのことはNTNには筒抜けだ」
 水口は無言だった。
「撒いたつもりだったが、すぐ発見される」
「ドジ」
 榊はかっとなる。
「いいか、お前は俺に貸しがある。そんな口はきくな」
「‥‥ごめん」
「いい。気にするな。杉田でいいんだな」
「うん」
 車は京急線のガードを乗り越え、イセザキスーパーモールの多層道路の迷路に入る。地上3階を通るこの道路は自動車専用になっている。上からも下からも光があふれ、貧困にも、汚れにも無縁で、あらゆる権利、あらゆる自由が保証され、すべての夢は叶えられると言っているようだ。しかしそれには終身社員章を持っているのが全ての前提。榊は持っていない。
 水口も、おそらくは。
 それでも、走り抜けるのに誰もとがめはしない。制限速度を遵守し、慎重にハンドルを切る。南へ。
「‥‥俺も目をつけられたわけだ。俺も共犯。理由を聞かせてくれてもいいと思わないか」
「何の」
「とぼけるのは無しだ。本当の理由。NTNに吠えついた理由。VIIに手を出した理由‥‥」
「ヴィーって何よ」
「最重要情報。データリサーチ業界の隠語だ。そこにあることは知ってもいい。だが、決して手を出してはいけない。そういう情報。やばいデータ」
「beeかと思った‥‥。理由ね。理由は、復讐」
「何の」
「わたしのフラットに着いたら教えるわ」
「たどりつけるかどうかなんてわからないぜ」
 水口は小さく笑った。榊は笑わなかった。冗談のつもりは全く無かった。

 操縦士は焦っていた。すでに手遅れなのではないかという焦燥感に襲われる。
 もし手遅れなら、もし完全に見失ってしまったとしたら、次は非常に不利な立場から始まることになる。ある情報、あるデータが人目を引くのは、そのデータが使われた時だ。使われないデータはデータベースの中で記憶領域を占有するスラッジでしかない。NTN幕張本社で複製され、持ち出されたデータは、それ自体は単なる数値の羅列でしかない。しかし、ある意図を持ち、適切な状況で、的確な使い方をすれば、NTNは壊滅する。
 NTNが緑陽、紫水をはじめとする各系列グループから独立していられるのは、無情に徹した保安体制を敷き、情報保全に対する神話を作りだしたからに他ならない。NTNは情報網を抑えることで、系列の喉元を押さえていた。しかし、NTNの情報保全への信用が失墜すれば、系列はその牙と爪でNTNを引き裂き、解体してしまうだろう。
 管理されないデータは使われない限り発見できない。使われれば、それと判る。だが、その効果が最大限に表れてはもはや手遅れ。やっかいなのはデータを無価値にする手段が無いことだ。それがプライム(素数)キーと呼ばれる所以だ。どのようにシステムを再構成したとしても、いずれかの交換機はそのキーを使う。なぜなら、電話番号簿に載らない番号はわずかだからだ。
 ヘリは住宅地の上空を飛ぶ。
 今もこの時、この瞬間に、電話のベルが鳴っている。NTNの電話回線を通して幾チャンネルもの映像プログラムが各家庭に送られている。道路情報も、気象情報も、あらゆる遠隔測定データが電話回線で送られる。もはやNTN抜きで現代生活は成立しない。
 舞丘が見えてきた。燃料が心許ない。先に目的地へ飛ぶか、迷う。
「本部から標的についての情報が入った」射手が叫ぶ「標的は伊勢崎町に入った」
「どこから入った」
 愚問だった。
「黄金町ゲートで登録されている」
 標的がYSP(横浜特別行政区)に留まることは考えられない。住人ではないからだ。必ず出てくる。おそらく南に。磯子方面に。そこしか行く所はないからだ。
 ツキは失っていない。
「本部にモニタを続けるよう伝えてくれ。こっちはこれから舞丘で補給する」
「了解」
 残燃料を使いきるかのようにヘリは増速する。

'In Night Running'
Satoshi Saitou
Create : 1992.12.01
Publish: 2010.07.04
Edition: 3
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