メモリーサルベージ
6.

 榊は目立つ〈緑陽情報〉のロゴが入った鞄を肩にかけ部屋を出た。鞄の中にはパッドが詰まっていた。
「どうする」
「下だ」
「でもヘリが来るって‥‥」
「行くぞ」
「もう」
 榊は初めから屋上に出るコースは除外していた。交換機に割り込まれていたということから、御崎との会話がすべて盗聴されたと考えていい。相手はまず何としても屋上へは行かせまいとするだろう。
 水口の検索が派手すぎた。榊は苦々しく思わざるを得なかった。それには榊にも責任があった。相手は榊達が突発的に力任せの検索を行ったので、データを引き揚げる十分な資料を持っていると判断されたのだろう。緑陽に先を越されると思われたのだ。
 榊は水口の手を引いて足早に廊下を歩いた。廊下には何人かの姿があって、榊は緊張していた。誰が諜報要員なのか見当もつかない。
 それにしても、と榊は思った。こんな強硬手段をとってまで仕事を妨害するのはなぜだ。〈ひまわり〉にはそれほどの価値があるのか。
 中年の婦人とすれ違う。
『ねぇ、なぜ‥‥』
 榊は水口を強く引き寄せる。
「端末は使うな」
 水口が腹を立てているのが榊には解ったが、今詳しく説明している余裕はない。
 榊達の行く先にぎこちなく笑顔を浮かべた男が立っていた。
「すみません‥‥子供を見かけませんでしたか」
「いいえ」
 榊は立ち止まらずに、そっけなく言い捨てた。しかし、その男は榊の前に回り込んだ。
「本当に見かけませんでしたか?娘なんですけど、迷子になってしまったようなのです」
 じゃあ、警備に頼めば‥‥。榊はそう言おうとし、はっとして後ろを振り返った。先ほどすれ違った婦人が今はこちらを向いている。その向うからも二人組がこちらへ歩いてきていた。
 榊は男に向き直りざま、体当たりをくらわせて走り出した。水口がよろけるが、それには構わない。
「すいません。急いでいるんで」
 水口が手を振りほどいて並んで走る。
「階段へ?」
「いや‥‥」榊はちらりと後ろを振り向いた。「こっちだ」
 榊は主廊下から枝わかれしている細い、従業員専用の廊下に入った。その廊下は入ってすぐつきあたりにぶつかり、左右に分かれている。榊は右に曲った。
『‥‥榊様、聞こえますか』
 御崎の声。割り込みを排除したらしい。
「後にしてくれ」
 廊下の先には無人の小部屋があった。シーツやブランケットが山のように積み上げられ、カバーのかけられた服がいくつも吊るされていた。榊は吊り下げられた服をかき分けるようにして部屋の奥へすすむ。
 部屋の奥の壁には荷物用エレベーターがあった。その隣りにパイプメンテナンス用の扉。榊は荷物用エレベーターを呼ぶ。
「裕子、ここで待ってろ」
 榊は部屋の入り口までもどると、廊下を覗き込んだ。人影が通路に延びている。くぐもった囁き声。榊はゆっくりと部屋の扉をしめた。ただ、鍵がなかった。すぐにも奴等はこの部屋に気が付くだろう。緑陽のテリトリーで堂々と動くはいい度胸をしている。水口の元に戻った時荷物用エレベータが到着していた。
「これに乗るの?」
 違う、と榊は答え、メンテナンス用の扉を開けると、埃っぽい空間に水口を押し込んだ。鞄も中に入れると、荷物用エレベータを下の階に向かわせた。
「御崎さん」
『榊様、ご無事でしたか』
「何とかね。今リネン室だかクリーニング室だかにいる。荷物用エレベーターで最上階まで行くつもりだ。回収たのむ」
『準備します』
 榊もパイプメンテナンス用の部屋に入ると、扉をしめた。直後に扉の向うで誰かが入ってくる物音がした。荒々しい靴音が扉のすぐそばまで聞こえる。話声。
「0-1、欺瞞、2-4-0、降下。‥‥了解」
 足音が移動し、遠ざかる。十分に待った後で、榊は用心深く扉を開いた。
「水口、出ていいぞ」
「屋上へは」
「どうしたもんかな」
 時間的にはそろそろ緑陽の防諜要員が到着していてもいいころだった。御崎に確認を取りたいが、盗聴される危険があった。こちらの手の内をさらすようなまねはしたくない。しかし、このままここでじっとしているわけにもいかないだろう。
 突然水口が思いつめたように口を開いた。
「ねぇ、明。わたし、さっき考えていたんだけど‥‥」
 榊は水口の言葉に我に返った。水口に聞き返す。
「あの〈くさはらの瞳〉は碧さんに歌われたと考えていいはずよね」
「そうだな」
「そしてその歌が絵に込められたとすれば、その目的は‥‥」
 榊は水口に黙るよう手で制止した。部屋の外で争う物音がする。二人は身体を固くした。やがて物音がやみ、扉が音を立てて開いた。
「榊さん、水口さん‥‥いらっしゃいますか」
 榊は携帯端末に囁いた。
「御崎、人をよこしたか」
『うちの要員を送りました』
 榊は肩の力を抜いた。

 10分後、榊と水口は緑陽情報警備の社名が入ったヘリに乗っていた。防弾処理されているだけで、機銃も何もついてなかった。ヘリは夜の空を音を立てて飛んでいた。
『申し訳ありませんでした。こちらの完全な手落ちです。まさかリサーチャー自身を誘拐するとは予想していませんでした。主に通信妨害を想定していたもので』
 御崎は携帯端末の回線越しに謝っていた。
「御崎さん。この〈ひまわり〉でどのくらいの収益を見込んでいるのです」
『残念ながらそのご質問にお答えするわけには‥‥』
「100万やそこらではないのだろう。サトウのオリジナルといえば、それだけで500万の値がつく。それも、今になっての未発表作品だ」
『‥‥』
「だが、それだけの値段で誘拐するリスクを負うとは思えない」
『榊様‥‥動くのは単に絵画だけの値段ではないのです。出版、放送プログラム、動画像使用許諾権、複製販売権、等等‥‥波及効果も入れれば、莫大な金額になります』
 死肉に群がる獣だ。榊は突然そんな思いに駆られた。そして自分もそのおこぼれに預かっている。
 それでもビジネスに徹する部分が御崎との会話を続ける。
「それで、我々のセーフハウスは」
『蓑沢に我が社の倉庫があるのですが、そこの事務所に部屋を用意させています。ホテルに比べると居心地はお世辞にも良くありませんが‥‥』
「警備体制はより厚いと」
『その通りです』
「我々はそれで構いません」
 榊は水口が隣りで、窓越しに街を見下ろしているのに気が付いた。榊もつられて自分の側の窓から見下ろすと、イセザキモールの饗宴にも似た光の回廊を飛び越す所だった。
 あの光のどこかに御崎がいるわけだ。
『ところで話は変わるのですが‥‥失礼ですが、調査の方はどのような状況なのでしょうか』
 回線経由で具体的に話すことはできなかった。
「目鼻はついた、と思っています」
 榊は答えた。水口に微笑みかける。

'The Memory Salvaging'
Satoshi Saitou
Create : 1997.02.10
Publish: 2010.07.04
Edition: 3
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