「サトウの未発表CG、ですか」
榊は怪訝そうに相手を見返した。相手をしているリョクヨウ・アートマイスターの上級終身社員である御崎は柔らかく微笑んだ。思わず釣り込まれそうな笑みだった。頭の動きにあわせて、艶のある黒髪が流れる。
「しかし、サトウの作品は発掘され尽くしたという話ですが」
御崎は口元に笑みを浮かべ、ゆっくりと話しはじめた。ゆるやかに歌うような話し方だった。
「‥‥もう1ヶ月程前のことになりますが、サトウの唯一の遺族で、娘である佐藤碧様がサトウの手記を公開しました」
御崎は傍らのパッドを取り上げた。榊は透明強化アクリル製のロウテーブルの上からコーヒーカップを取る。水口は御崎の手元をじっと見ていた。榊がちらりと水口を見やると、彼女の通った鼻筋の向こうに、イセザキモール・ペデストリアンデッキの第4層が見えていた。行き交う人々は皆YSPの住人たちだ。
「‥‥よろしいでしょうか」
御崎の声に榊は我に帰った。水口がくすりと笑う。
「これは私どもが入手した、手記の一部の写しです」
パッドの表示面にクセのある文字が現れる。
「変わったフォントですね」
水口が言い、榊は苦笑した。御崎は相変わらず魅力的な笑みを浮かべていた。その表情は全く変化が無かった。榊は彼女の微笑みが、心理的に条件付けられたものだということに思い当たった。
「これはサトウの手書き文字をそのまま取り込んだものです。画像品質的に、手記そのものと思ってくださって構いません」
「なるほど。それで、未発表CGというのは」
「これは手記‥‥というか、日記や、雑多なメモの集合です。時期的にはサトウがポスト・シンセティック世代のアーティストとして見出される20年前から、亡くなる直前までを網羅しています。美術史的に貴重な資料です。我々はこの資料の分析をさっそく行いました。その結果、気になる記述を発見したのです。これは日記の一部です」
御崎はパッドの側面に触れ、表示を切り替えた。それは、何かのメモのようにも見えた。日付が隅の方に入っている。――2021.7.28。40年以上昔だ。
「ここに書いてあるのですが‥‥見えますでしょうか」
水口が首を横に振った。
「ずいぶん薄いですね」
「コントラストを上げましょう――今度はどうでしょうか。ここです」
「『ひまわり、アップ』と読めますね」
「私どもはこれがサトウの未発表の作品であると考えております」
榊は突然ばかばかしくなった。
「こんなに昔のファイルを探し出せ、と? アーカイブから削除されていても不思議じゃないし、むしろそのほうが自然だ」
「いえ。それが残っていると考えられるのです」
御崎は相変わらずの笑顔で答えた。
「碧様は、18歳の誕生日の日にその『ひまわり』をサトウがダウンロードしたかもしれないと語っています。2034年9月4日ということになります。つまり、13年もの間、保管されていたわけです」
「要するに、インターネット・データバンクだった可能性が高い、と」
「――あるいは、13年の間に旧ホスティングパーソナルログから転載されたのではないか。私どもはそのように考えております」
「ふむ」
榊は唸った。インターネット・データバンクは当初、他国間で仕事にあたる人々向けに始められた情報サービスだった。データバンクは世界各地にミラーデータサイトを有するのが普通で、バンクの利用者は移動先の国で、手近なデータサイトから自分のデータを引き出せるわけだった。これは通信費用の節約という他に、データ媒体の盗難を避ける目的もあった。その性質上、管理費用さえ払い込まれていれば、データバンクはずっと保管し続ける。
しかし。
「そのデータバンクが何という名前だったのかはわからないのですね」
「残念ながら」
データ通信規制法と知的所有権保護法の施行がやっかいだった。データ通信規制法によってインターネット利用には大きな制約が科せられ、国内のインターネット・データバンクは倒産と統廃合、合併、吸収のめまぐるしい変遷をたどって最終的に系列下のデータバンクへ吸収されていたからだ。その過程で所有権が曖昧なデータがいくつも発生していた。とはいえ、所有者がどこかにいるのは確かであり、無闇に削除することはできない。そこで各系列データバンクが採った方式は、一定期間だけ保存しておくことだった。持ち主が現れればよし、現れなければ削除するというわけだ。
「‥‥なるほど、これは難問ですね」
「私どももそう考え、だからこそ榊様をお呼びだてした次第です」
「かいかぶりかもしれませんよ。‥‥報酬の方は」
「10万ユニット、プラス諸経費でどうでしょうか」
「妥当ですね」
「それでは‥‥」
「お引き受けしましょう。‥‥ただ、見つけられないかもしれません」
御崎は笑顔を崩さなかった。
「その場合でも調査報告を提出なさってください。私どもはその報告に1万ユニット支払います」
「解りました」
御崎は腰を上げた。榊と水口も立ち上がる。
「良い報告を期待しております」
手が差し出され、榊は御崎と握手した。水口の視線を感じる。
「そう‥‥それと、このことは申し上げておいた方が良いでしょう」榊の手を握ったまま御崎は言った。「『ひまわり』に注目しているのは緑陽だけではありません。紫水、蒼山も調査を始めているとの情報を把握しております」
「では彼らには負けられない、というわけですね」
「仕事場としてリョクヨウ・グランドホテルの一室を確保します」
「御配慮に感謝します」
手を握ったまま榊は答えた。水口の視線を痛いほど感じていた。