榊は車を旧横浜市青葉区へ向けて走らせていた。サトウの娘、佐藤碧に会うつもりだった。アポそのものはリョクヨウ・アートマイスターが代行してくれていた。榊個人よりも緑陽のネームバリューを使ったほうがアポを取り易いという判断からだった。
榊達は西谷バイパスを北上していた。このバイパスは保土ヶ谷にある東海トラフィック相鉄線の西谷駅付近から始まり、青葉行政センター前で国道246号線と合流する。車はちょうど鶴見川を越える陸橋を渡った所だった。
御崎が電話で榊に警告を伝えてきた。
『あなたがたの車が尾行されているとの報告をもらっています』
「振り払えるかな」
『無用に刺激させて実力行使に出られてはかえって面倒です』
「単なる監視?」
『おそらく』
通話は終わった。きなくさい話だった。おそらく今の会話も盗聴されているのだろう。今交わされた通話は尾行している連中への警告の意味もあるはずだった。尾行していることが発覚しているということは、緑陽の防諜班が尾行している連中を監視していることを意味しているからだ。
しかし、相手の意図はなんだろうか。榊は思った。誘拐して調査させる? 馬鹿な。緑陽に義理があるわけではない。それなりの金額が提示されれば協力するし、それはフリーランスを雇うところならどこも承知しているはずだ。おそらく、作業を妨害して、自分の調査担当が発見するまでの時間を稼ぐといったところだろう。
「御崎さん、きれいな人よね」
それまでずっと黙っていた水口が突然訊いた。榊は戸惑った。
「‥‥何だよ、急に」
「なんだか気圧されたのよ。正直、敵わないって思った」
橋を渡りきると交差点だった。赤信号。榊は車を停めた。
「御崎さんの手、きれいだったわよね」
「妬いてるのか」
「違うわよ。そうじゃなくて‥‥」
水口はそれきり黙り込む。
信号が青に替わり、榊は車を走らせた。
「彼女‥‥生え抜きだよ」
「温室育ちってこと?」
榊は頷いた。
「第一世代か第二世代か、そんなところだろうな。交渉心理戦の尖兵だよ。心理外交戦のエキスパートだ」
「‥‥そういう風には見えなかった」
「そういう風に見えたら失格なのさ」
車は家電製品の無人工場に沿って走る。
「なぜ解ったの」
「たぶんそれは」榊は笑みを浮かべる。「完璧だからだ」
「それって、私が不完全ってこと?」
水口が気色ばむ。
「彼女の土俵じゃ、話にならんな」
「悪かったわね。完璧じゃなくて。いつもいつもあの人みたいに愛想良くなんてできないわよ。機嫌が悪ければ愛想も悪くなるわ。当たり前でしょう。どうしろってのよ」
「‥‥いい加減にしろ」榊は低く唸る。「お前の土俵はデータリサーチで、それも駆け出しだ。折衝要員として〈温室〉に生まれた人間と比べ物にならないのは当たり前だろう」
榊達を追い抜こうとする車をやりすごす。
「ようするにガキってわけね」
水口はいらだちを隠さなかった。榊は一呼吸おいて答える。
「そうだ。誰だって最初はそうだ」
「明も?」
「当たり前だ。生まれつき老けてるわけがないだろう」
水口はひきつったように笑った。
「‥‥お前、なぜサトウの娘に会うのか、理由がわかるか」
「アーカイブの場所を調べるため?」
榊は微笑む。
「おおはずれだ。‥‥考えておけよ。帰りがけに訊くから」
「何様のつもりなの」
榊は軽く肩をすくめただけだった。水口は軽くため息を吐くと、シートに座り直し、前方を見据えた。