水口は部屋に備え付けのソファーに座り込み、パッドを睨み付けていた。昼間の佐藤碧との会話を思い返す。
〈くさはらのひとみ〉
水口にはそれが答えであるように思えたが、榊はそれをキーにしての検索はすべきでないと強硬に言い張った。それだけでは不足だ、と彼は言った。もっと他のキーの候補を挙げておかなければ、と。
しかし、水口にはそれが根拠の無い、不当な言いがかりのように思えてならなかった。彼女の心の一部ではプロとしてのキャリアを積んだ榊の言葉に納得している部分もあるものの、やはり、故意に難問を押し付けているようにしか思えなかった。
水口はふと空腹感を覚えた。佐藤の家で出された羊羹の甘さを思い出す。
ルームサービスを頼もうか、と水口はベッドの上で胡座をかいている榊に声をかけようとした。
「みつけたよ」
榊が先に言った。
「ひまわり?」
「違う」
水口はソファーから立ち上がってベッドに歩み寄った。
「〈くさはらのひとみ〉だ」
榊はパッドを水口に差し出した。水口はパッドを受け取ると、ベッドに腰掛けた。パッドには文字が並んでいた。
〈くさはらのひとみ〉
とおいとこからやってきた
やわらかあたたかちいさなあなた
足はそっと草をなで
手はそっと風をなで
そっとなで
とおいとこからやってきた
やわらかあたたかちいさなあなた
足はそっと草をなで
手はそっと風をなで
そっとなで
乾いた部屋にやってきて
眠そにとことこやってきて
明るい声で部屋を潤す
澄んだ声で部屋を潤す
くさはらのひとみが私を見上げる
まるで私が丘の木立であるかのように
あなたのひとみはわたしを映す
あなたのひとみはくさはらのよう
私の心をやさしく揺さぶる
その手の中に
隠れた空がよみがえる
その空の青がよみがえる
あなたがわたしを呼んだのね?
あなたがわたしを呼んだのね?
あなたがわたしを呼んだのね?
その明るいひまわりのような顔
とおいとこからやってきた
やわらかあたたかちいさなあなた
水口はざっとその文面に目を通した。
「これは?」
「昔歌われた子守り歌、のようなものらしい。録音されたものもミュージック・アーカイブにあるそうだが、そっちは落としていない。落とす必要もないだろう」
「それは解ったけど、なぜこれを」
榊は水口をじっと見つめた。
「〈ひまわり〉がアップされた日付の時、佐藤碧は3才になるかならないかの頃だ」
「そうね」水口は頷いた。「‥‥つまり、彼女の母親が碧さんに歌ったということね」
「たぶん、これがアタリだ」
「じゃあ、やっぱり〈くさはらのひとみ〉がキーということ?」
「お前は単純だな」
「どういう意味よ」
「サトウはキャプションを残しているはずだ」
水口は怪訝そうな顔をした。
「日記みたいなものと思えばいい。‥‥お前ならどういうキャプションをつける?」
ぴっ、と装着端末が音を発した。榊は水口に手で待つように合図する。
「榊ですが」
囁く。
『御崎です。申し訳有りません』榊はベルトに装着したコントローラを使って、水口の装着端末に回線をブランチさせる。『我々の警備に落ち度がありました。至急、その部屋を出てください』
榊は水口に目で合図する。水口はあわただしく荷物を片づけに入った。
「何があったんです」
『泊まり客を装った他系列の諜報要員と思われる人間がそちらの部屋に向かっています。ID偽装が完璧なので、ホテルの警備では身柄を抑えられません。こちらの防諜要員を送りましたが、時間がかかります』
「解った」
『ホテルの屋上にヘリを‥‥』
御崎の声はそこで途切れた。
「なんで切れたの」
「ホテルの交換機が割り込まれたんだ。‥‥荷物は?」
「OK」
「出よう」