「なぜ遺族に直接会いに行ったかわかったか」
リョクヨウ・グランドホテルのロビーに入りしな、榊は水口に訊いた。
「なんとなく」
水口は頷いた。野毛に立つこの建物はYSPの北端を示すランドマークになっていた。落ち着いた色合いの絨毯が二人の足を柔らかく迎えた。
「つまり、検索の手がかりを集めるためね」
「そうだ」榊はむっつりと頷く。「検索条件が多ければ多いほど、検索効率はあがる。特に今回のような、何年も前に埋もれた特定のデータをサルベージする場合はそうだ‥‥推測するには当事者の話が一番だ」
榊と水口はフロントの前で立ち止まった。
「榊だ。リョクヨウ・アートマイスターの御崎という人が‥‥」
フロントマンは微笑んだ。榊が身につけている装着端末が警告音と共に、メッセージを発する。その音は榊の耳朶に埋め込まれた振動子から骨を伝わって直接内耳へ響く。
『あなたのクレジットプロフィールが参照されました』
「榊様、お待ちしておりました。御崎様よりお部屋のご予約を承っております。お部屋は1303号室です」
フロントマンは電磁タグの埋め込まれた硬化アクリルのバーを差し出した。
「ところで荷物の方は」
バーを受け取りながら榊は訊いた。
「すでにお部屋の方に運んであります」
「どうも」
榊と水口はエレベーターの方へと歩いた。
「でも‥‥」水口が口を開いた。「手がかりは〈ひまわり〉で十分ではないの」
「甘いな。〈ひまわり〉という検索キーでどれだけの項目がかかるか、想像できるか」
水口は口篭もった。
「10‥‥20とか」
「俺も実際に〈ひまわり〉というキーだけで検索したことはないが、それでも今言った数より確実に二桁多いだろうとは言えるよ」
「1000? 嘘でしょう」
榊達はエレベーターの前に立ち止まり、扉が開くのを待った。
「こういうケースでは、保存されているデータの格納タグ名称での検索ができない。だから、データ中に含まれる副検索キーや、テキスト中のキーワードで検索することになる。そして、似たような単語を使うデータは予想以上に多いんだ」
エレベーターの扉が開き、人々がロビーへと吐き出されるのをやり過ごす。エレベーターから出てきた人たちは誰もが高級ブランドの衣装に身を包んでいた。他の特別行政区からの訪問客か、海外からの観光客、あるいは商談折衝員達なのだろう。
彼らと入れ替わりに榊達はエレベーターに入る。
「裕子、お前がやってみるか」
「やってみるって何を」
愚問だった。榊はうっすらと笑みを浮かべる。
「検索を。決まっているだろ」
扉が閉まり、エレベーターは緩やかに上昇を始めた。
1303号室は横浜湾に面した部屋だった。野毛の斜面上に建てられていることもあり、眺望は良かった。横浜から関内へと続くビジネスオフィス回廊や、その向うに広がる、かつてMM21地区と呼ばれたこともあった埋め立て地が見えた。その埋め立て地に、今は紫水の社員養育プラントと教育機関を含む、一般に〈温室〉と呼ばれる閉鎖環境建造物がまるでコンクリートの巨大な基礎ブロックのように広がっている。その傍らには蒼山、緑陽が共同で接収したランドマークタワーがそびえ立っていた。それら建物の向うに海岸線を縁取るようにして5メートル堤防が延々と横に伸び、そのさらに向うには、きらめく波間に散在する幾つもの無骨な海底土壌改良ユニットが見えていた。
「いい部屋だな」
榊は口に出していった。そして室内を振り返り、ベッドの上に幾つも並べた大型パッドのディスプレイ面を睨み付けている水口に目をやった。
「景色を見ないのか」
「黙ってて」水口はディスプレイから目を離さないまま答えた。「これから検索を始めるんだから」
榊は黙って微笑み、窓枠に寄りかかった。
水口はパッドの並列接続に悪戦苦闘していた。パッドはそれ単体でもネットワークコミュニケーション、データプロセッシングを行うことができるが、榊のようなデータリサーチャーにとって、パッド単体の処理能力は満足のいくものではない。そこで、処理能力を向上させるため、幾つものパッドを接続したクラスターと呼ばれる構成を取り、平行/並列処理させることがこの業界では定石になっていた。ただしパッド間の通信量はデータ電送路の物理的上限で制限されるため、無闇に接続数を増やすことはできない。また、接続したパッドのうち幾つかは独自のプログラムを使用するので、それらプログラム連携のチューニングもまた、馴れないうちは難しい作業だった。
水口は操作制御用にセッティングしたパッドのディスプレイ面に触れた。ディスプレイ面に埋め込まれた感圧センサが水口の操作を捉える。クラスターに組み込まれたパッドのうち幾つかがYSPネットワークへの接続を開始した。パッドの中で蠢く検索プログラムはYSPネットワークから特別行政区間に広がる〈商業データストリーム〉へと触手を伸ばす。検索プログラムはネットワークノードを検出する度に自らのクローンをそのノードに備えられたサービスホストに送り込み、そのネットワーク内の検索をクローンに一任する。そしてそのクローンも別のネットワークノードを検出すると、そこに自分自身がすでにいない限り、同じようにクローンを送り込む。
裕子によって〈ひまわり〉というキーを与えられた検索プログラムは程なくして〈商業データストリーム〉にあふれ、そのマクロなネットワークにぶら下がる、泡沫のようなネットワークまでを満たし尽くす。それらネットワークを検索し、クローンの生成も行えなくなった時点で、無数の検索プログラムは結果を一斉に裕子がセットしたパッドへ送信する。そしてパッドからの受信受領信号を受け取ると、それら無数のクローンは消滅する。
数分が過ぎた。まず兆候が現れたのは一つのパッドだけだった。受信専用にセットされたパッドのうちの一つが過負荷のワーニングを発し、受信ポートを閉塞した。そのため残ったパッドが処理を分担したが、そのため他のパッドも過負荷へと追いやられた。過負荷に入ったパッドは次々と受信ポートを閉塞させていった。
水口が監視している操作制御用のパッドがクラスター全体の処理速度低下を通知した時、すでにすべての受信用パッドは閉塞してしまっていた。それでもクラスターのスーパーバイザである操作制御用パッドは、他のデータタンク用やバックアップ用に接続されたパッドに処理を割り振り、なんとか検索処理を続行しようとしていた。しかし、検索結果送信に失敗した検索プログラムからのリトライ送信が増大し、それに伴い受信に要求される処理能力も指数関数的に増大していた。すでにクラスターは処理続行が不可能な状態に陥っていた。
水口は何か問題が発生したことに気付いていたが、それが何であるのか解らないでいた。操作制御用パッドは単位時間当たりの受信数が低下していることを警告し、同時に他の独立して実行されているはずの処理能力も低下していることを報告していた。水口には、クラスターに組み込まれたすべてのパッドが一斉に故障したかのように見えていた。単位時間当たりに処理されるデータの数は減っているのに、負荷は増え続けているからだ。
「明、なんか変」
水口が榊に助けを求めた時、クラスターの負荷状況はさらに危険な段階に進んでいた。データ受信処理の結果はデータタンク用に接続されたパッドへ送られ蓄えられるのだが、データタンク用のパッドがデータ受信のために処理能力を割かれているために、想定された能力を出せずにいたからだ。ストリーム-クラスター間で起きたデータオーバーフローの現象が、そのままクラスター内で再現された。パッド間のデータ送信が停滞し始めたため、クラスターとしての機能停止はもはや時間の問題だった。
榊は水口の隣りに腰を降ろし、水口に差し出されたパッドの表示を見ただけで、何が起きているのかを把握した。榊は受信操作停止の指示を出した。普段ならすぐに応答が返るはずだが、処理速度が極端に落ちているため、応答まで数分待たされた。受信操作が停止した旨が表示されると、今度はストリームに向けて、検索プログラムの強制停止プログラムを送り出す。この強制停止プログラムは検索プログラムの識別タグを元に、サービスホスト中の検索プログラムを探し出しては消去していった。
クラスターの負荷状況は次第に落ち着いていった。
「壊れてるの?」
水口が訊いた。榊はちらと彼女を見てから答えた。
「輻輳だ。検索結果の量がクラスターの処理能力を越えていた」
「じゃあ、もっと性能のいいパッドを組み合わせて‥‥」
「お前のやり方がまずかったんだ」
榊は言った。
「なぜ」
「検索条件をもっと絞り込めば良かったんだ。ネットワークから送り返されるデータの総量を減らせばいい。それにそのキーで検索できるなら俺達に頼んだりはしない」
「なんでもっと早く教えてくれなかったの」
「これで骨身に染みて解ったろ」
「底意地が悪いわね」
榊は何も答えなかった。
「どうするの」
「検索キーを選ぶんだ。サトウが使いそうな副検索キーや単語が何かを考えろ」
「そんな事言われても‥‥」
「何のためにわざわざ会いに行ったんだ」
水口は榊を睨み付けた。
「‥‥解ったわよ」