ミッシング・リング
6.

 門から出てきた女性は、最初路地の入り口に停まっている車にほとんど注意を払っていなかった。しかし車から森宮が降り、彼女が近づくにつれて、次第にその表情が硬くなっていった。
 水口は急いで森宮に続いた。同じ顔を持つ二人はすでに二言、三言言葉を交わしているようだったが、水口の耳には届いていなかった。
「‥‥それで、何の用なの。あやか姉さん」
「指輪を探しに来たのよ。みやか」
 二人の会話が耳に入った時、みやかの方も水口に注意を向けた。
「そっちの人は?」
「わたしが雇ったデータリサーチャーよ。半日でここまで来れたわ」
「ここに来るのにずいぶん大袈裟なことね」
「そうでも無かったわ。メールシステムにしかアドレスは残っていなかったもの」
「連中も完全では無かったわけね」
「どういう意味?」
 しかしみやかはそれには答えず、森宮の脇に立つ水口を凝視していた。
「お客さんもいるのに立ち話もアレね。上がって。何も無いけどお茶ぐらいはあるわ」
「お言葉に甘えさせてもらうわ」
 やんわりと森宮は答えた。しかし、みやかは森宮に一瞥をくれると、さっさと門の中へと入っていってしまった。
「さ、水口さん」
 微笑みながら森宮は言ったが、水口は車の中で待っていれば良かったと、後悔していた。

 早蕨みやかの家は静かで、ひんやりとした空気が流れていた。静かで落ち着いた空気。水口は以前に訪れたことがある佐藤碧の家を思い出していた。
「こちらへ」
 みやかの乾いた声。森宮は軽くうなずいて奥へと歩き、その後を水口はついていった。床がきしむ。
「いい家ね」
「築50年だそうよ。これまでに二度、部分的に改修してるとか。不動産屋はそう言っていたわ」
「道理で。保存状態も良いわね」
「よしてよ。わたしは管理人じゃないわ」
 みやかは二人をダイニングキッチンに招き入れた。
「来ることが解っていたらそれなりに準備していたのだけどね」
「わたしは構わないわ」
 DKは広々としていた。二人暮らしには大きすぎるテーブルが置かれ、椅子は3つあった。水口と森宮は並んで座った。テーブルの天板はラミネート処理された樹脂複合素材で、表面を黒檀に模していた。みやかはキッチンに立つと、急須にお茶の葉をいれ、蛇口からお湯を注いだ。
「みやか」森宮はキッチンに立つ妹の背中に声をかけた。「早蕨麻奈というのは、あの‥‥?」
「そうよ」盆の上に急須と湯飲みを並べながらみやかは答えた。「私たちの育ての親よ。姉さん、まだちゃんと覚えていたのね」
「もちろん、忘れたりはしないわ。‥‥そう、一緒に暮らしていたのね」
 森宮は寂しげに微笑む。水口はその自然な表情を横目で見ながら、その感情表現がどれだけ真実味を帯びているのか訝しく思った。今までの彼女を見ていると、そう思わざるを得なかった。
 みやかが盆を持って戻ってくる。
「指輪ってさっき言っていたわよね。どういうこと?」
「14年前、早蕨さんが退社された時、指輪をもらったわよね。あの指輪のことよ」
 みやかは目を細めた。
「それで?」
「あの時、指輪はわたしがもらって、その後あなたに預けたわよね」森宮は湯飲みを並べるみやかの手元を見ながら言った。「だから、あの指輪はあなたが持っているのよね。あれを、見せてもらえないかしら。そして、できれば‥‥」
「譲って欲しい?なんで今更、のこのこ顔を出したの」
 みやかはそれぞれの湯飲みにお茶を注ぎ終わると椅子に腰を降ろした。
「わたしたちは緑陽から遠ざかった生活をしていたのに、なんで、今更」
「気分を害したのなら謝るわ。それで、今、手元に?」
「あるわ。でもあの指輪、いらないって言ったからじゃないの。それをなんで今更」
 森宮は答えなかった。その時、廊下で物音がした。
「お客さんなの?」
 車椅子がDKに入ってきた。
「母さん。‥‥珍しい人が来てるわよ」
 森宮は振り向き、車椅子の中の老婦人が誰かを確かめると立ち上がった。
「早蕨さん。御無沙汰しておりました」
「あやか、かい。懐かしいね。もっとも顔だけは毎日みていたわけだけどね」
「事故に遭われたそうですね」
「階段で転んでね。骨格の再発生待ちで後1ヶ月は車椅子だよ。外骨格は煩わしくて、断った」
「相変らずお元気そうですね」
「あやかもスーツ姿が良く似合っているよ。隣の人はお友達ですか」
「いえ」
 森宮はこれまでの経緯を話した。麻奈は車椅子をまわすと、みやかの隣に入った。シートがジャッキアップされる。
「みやか、指輪を持ってきなさい」
 麻奈がそう言うと、みやかはしぶしぶといった様子で席を立ち、DKを出ていった。
「あやか、この家が監視下にあることには気がついた?」
「そうであろうことは想像していました」
「あたしは緑陽の機密事項をここに」と、頭を指し「持っているから、連中もそう簡単に手放しはしないんだ。みやかには納得できないらしいけど、あやかには解るでしょう」
 森宮は微笑んで頷いた。
「保安部は通りいっぺんの保安措置を取り、あたしの情報を消した。でも、みやかの情報が残っていた。違うかしら」
「その通りでした。水口さんはみやかの痕跡を追ったのです」
「保安部もいいかげんね。でも、今回のことでその痕跡も消える。ところで、あの指輪を欲しがるなんて、何があったの?ストレスが強いの?」
「突然、あの指輪のことを思い出したのですよ」
「仕事はきつい?もし、つらいようだったら、ここに来てもいいのよ。ここなら保安部もうるさいことは言わないでしょうし、みやかだっていつかは打ち解けてくれるわ」
「いいえ」森宮ははっきりと言いきった。「わたしが生きる場所はあそこなんです」
「そう」麻奈は寂しげに応えた。「でも、そういう風に育てたのはあたし達なんだものね」
「お気遣いは無用です」森宮は微笑んで答えた。「わたしは大丈夫です」
 麻奈はしばらく森宮を見つめていたが、ぽつりと言った。
「あの指輪で役に立つのかしら」
「十分です」
 森宮は軽く頷いた。みやかがDKに戻ってくる。
「指輪よ。姉さん」みやかは森宮の前に指輪を置いた。それはテーブルの上で、冷たく銀色に輝いていた。「持っていっていいわよ」
「ありがとう」
 森宮は微笑むと、指輪を指にはめた。みやかが皮肉気な笑みを浮かべる。
「自分の顔なら鏡で見るわ。‥‥もう2度と来ないで」

'Missing Ring'
Satoshi Saitou
Create : 1997.04.19
Publish: 2010.07.05
Edition: 2
Copyright (c) 1997-2010 Satoshi Saitou. All rights reserved.