ミッシング・リング
4.

 水口は湘南インターで車を一般道に降ろした。検索から得られた、藤沢市大庭はここからさほど遠くない場所にある。YSPを核とする横浜経済圏や厚木の発達に同調し、高速横浜新線から湘南線を経て小田原に至る相模湾ベルトラインはベットタウンとして人口が流入していた。東海トラフィックの東海道線も10年前までには広軌・高出力リニアモーター機関への転換が完了しており、高速化・大量輸送化が図られていた。藤沢市はそうした海岸に沿って伸びる住宅地帯の縁に位置していた。
 水口は助手席側のフロントガラスにロードマップを表示させた。
「ここは初めてですか」
 森宮が訊いた。
「ええ」
 水口はバックミラーに目をやった。緑のステーションワゴンは見えなかったが安心はしていなかった。尾行は数台の車を替えながら継続させると、森宮から聞いていた。
「尾行は見えないわ」見透かしたように森宮が言った。「とりあえず、それらしい車は。でもどこかから監視されているでしょうね」
「外出するたびにいつもこうなんですか?」
 インター出口の交差点を左折しながら水口は訊いた。
「社としては当然の措置です」
 水口は森宮を盗み見たが、彼女の表情はいつもの微笑みに戻っていた。
「社は尾行・監視に二重の意味を持たせているんです。一つは防諜、一つは警備。わたしたちは他社の情報部門と接触するわけではないのですから、あれを防諜のための監視と思う必要はありません。あれは警備なんです」
「なるほど」
 車は藤沢市西部を覆う人工地盤の下に入った。この免震地盤は防災対策として三系列共同によるジョイントプロジェクトの一環として25年前に開発され、震災による旧首都圏からの流出人口の受け皿として整備された。水口はナビゲーションの指示に従って、迷路のような地下通路を走った。
「‥‥妹さんとは13年ぶりの再会ですね」
「そうね」
 森宮は微笑んでいた。
「懐かしいのではありませんか?」
「いいえ。‥‥なぜ?」
「いえ。別に」
「そう」
 水口は森宮を横に乗せているのが苦痛になっていた。今更ながらに榊が〈生え抜き〉について言っていることが実感できたことはなかった。
 車はスロープを上り、人工地盤の上に出た。周囲には古びた集合住宅の群れが建ち並ぶ。築25年を数え、当時の最新建築物も老朽化の綻びを隠し切れていなかった。コンクリートの中性化が進み、鉄筋の錆が表に染み出している。全体を不織布の半透明シートで覆われ、モレキュラーロボットによる外壁改良作業が施されている棟も幾つか見ることが出来た。
 水口は車をとある棟の前に止めた。コミュニティ管理センターにパーキングのクリアランスを請求しておく。
 その棟も外壁改良作業の真っ最中だった。薄めた膠に混ぜられたモレキュラーロボットが、作業ロボットが持つ噴霧器から外壁に吹き付けられていた。作業ロボットは鉄パイプで組まれたやぐらを縦横自在に移動している。外壁に吹き付けられたモレキュラーロボットは膠を燃料として、コンクリートのPhを操作し、酸化化合物を排出する。作業が終わると隣接する他のモレキュラーロボットと結合したまま機能停止し、ビニール状のシートを形成し、外壁を保護する。
 水口は鉄板の屋根を持つ俄作りの通路を通って建物の中に入った。森宮が後に続く。部屋番号は判っていた。エレベーターを使って6階へ。622号室へ。

 622号室は空室だった。住居表示板も空白で清潔で、まるで初めからここに住人はいなかったようだった。
 水口と森宮は顔を見合わせた。
「車に戻ってここのコミュニティ管理センターに問い合わせて‥‥」
 水口がそう言いかけたとき、623号室の扉が開いた。中からショッピングバッグを背負った中年男性が出てきた。彼は森宮の顔を見て驚いたようだった。
「早蕨さん。何か忘れ物でも」
「どなたですって」
 男は怪訝そうな顔をした。
「早蕨さんじゃないんですか」
「残念ながら。人違いです」森宮は優しく応えた。「ところで、その早蕨という方は誰なのですか」
「あんたがたが立っている前の部屋にいた人ですよ。母一人、娘一人の家で、たまに親戚の人が一月ほど泊まり込んでいたけど、半年ほど前、その、親の方が事故にあってね。それが理由なのかどうか、越していった。あなた、その娘さんにそっくりだ」
 水口と森宮は目配せを交わした。
「世間には顔立ちのそっくりな人が3人いるといいますからね」森宮はそつなく応える。「ところで、わたしたち栗谷さんというお宅を探しているのですけど、ご存知でしょうか」
「いや。知らないな」男はかぶりをふった。「たぶん棟違いだと思うよ。この棟にそんな人はいない」
「どうも。ここの管理センターに問い合わせれば判りますよね」
「もちろんそうだね」
 森宮と水口は適当なお礼を言って、エレベーターに急いで戻った。
「母一人、娘一人ってどういう意味なんでしょうね」エレベーターの扉が閉まり、水口は独り言のように言った。「あの部屋にみやかさんが住んでいたのは確かなようですが‥‥」
 森宮はエレベーターの扉を見つめたまま答えなかった。彼女の背後に立つ水口から、その表情を伺うことはできなかった。水口は続けた。
「車に戻ったら、パッドでここの管理センターに問い合わせをかけましょう。それと妹さん偽名を使っておられたようですから、それで転居情報をあたってみる価値はありますね」
 ベルが鳴り、エレベーターは止まった。扉が開く。エレベーターを出る時、森宮が何か言った。水口は訊き返した。
「早蕨というのは養育担当官の名前なのよ。ただ、そのことを思い出しただけ」
 森宮は静かに答えた。

'Missing Ring'
Satoshi Saitou
Create : 1997.04.19
Publish: 2010.07.05
Edition: 2
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