水口は助手席に森宮を乗せ、車を伊勢崎町のマスショッピングモールから高速狩場線に入れた。水口が操る黒い43年型の騅は法定速度内――時速140キロで巡航する。ナビゲーションシステムと車両予測制御システムはドライブ・バイ・ワイアシステムへ適時介入し、人間の貧弱な情報処理能力を補う。そうでなければ、時速150キロという法定速度の設定は危険極まりないものになっていただろう。このマンマシンシステムの中で、人間は意志決定の役割しか果たしていない。人間は力を持たない意志であり、車は意志を持たない力だった。だが、もちろんドライバー達はそのように考えたりはしない。昔の非力な車を操っていたドライバー達と同様、自分が車を操っていると考えている。しかしそれは錯覚だった。もっとも車が自己主張することはないので、錯覚していたところで問題はなかったが。
水口はハンドルを軽くまわし、車線を変えた。アクセルを踏み、増速する。ドライブ・バイ・ワイアシステムは彼女の動作を車両制御情報に変換する。その変換過程にナビゲーションシステムと車両予測制御システムが干渉し、安全マージン内に収まるよう修正する。水口はその過程を知識として持ってはいたが、意識したことはなかった。意識する必要は無かったし、意識させる事態も起きないだろう。そのように車は作られているからだ。
水口が乗る騅は緑色のワゴン車を追い抜いた。水口は視野の端でドアミラーに移るワゴン車が小さくなっていくのを見ていた。ドアミラーに写るワゴン車の下にマイナスの相対速度がオーバーラップしていた。
「森宮さん」水口は前方を見つめたまま助手席に座る森宮に声をかけた。「妹さんはどういう方だったんですか」
「なぜですか?」
森宮が反射的に応えた。その口調に棘はなかったが、水口は戸惑った。
「いえ、特に理由はありません。ですから、無理にお答えしていただく必要はありません。‥‥私個人の好奇心です」
「好奇心ですか」
「すみません」
「いえ、別に。ただ、なぜお知りになりたいのか不思議に思ったので」森宮はそこで言葉を切り、そして話を続けた。「わたしたちは双子として計画されました。一卵性双生児です。ベースジーンは緑陽のジーンバンクからランダムに選ばれたと聞いています。受精後、胚分割処理をした後、別々の仮親に移植されたというわけです。出生順序がたまたまわたしが先だったというだけで、みやかが妹になりましたが、わたしが妹になった可能性もあったわけです。わたし達の世代では双生児として計画された社員が多くいます。もちろん二卵生やそれ以上の多胎も」
「なぜなんですか」言ってしまってから水口は付け加える。「‥‥その、差し支えなければ」
「隠すほどの理由ではありません」森宮の口調は朗らかだった。「前世紀の終わりから続いていた特殊出生率と教育水準の低下に対する対抗措置。特に若年労働人口は急激に減少していましたから。短期的に資本回収ができる見込みはありませんでしたが、長期的に回収可能という判断があったのです。そして、また、多胎にはプロフィール設定の比較実験という目的がありました」
車は高速横浜新線、横浜横須賀線、狩場線を統合する広域インターチェンジに入った。高速を維持するための暖ループだけで設計されている。優に1キロを越える加速車線がYSPへ流入する車両のバッファーとなっていた。
車は錯綜する高架の間を走る。森宮は言葉を続けた。
「プロフィール設定というのは、粗い言い方をすれば人格設定ということになります。生来の気質や性格の上に別の人格を刷り込んでしまう。多重人格化ではなく、別の人格に変容させてしまうのです。わたしはその処理を受けました。みやかは受けていません。比較のために」
水口は答えに窮した。
「ずいぶん、恐いことをしたのですね。つまり、わたしにはそう思えるのですけど」
「なぜですか」
そう言われては返す言葉もなかった。
「わたしは満足しています」森宮はそう続けた。「それがわたし自身の偽らざる気持ちです」
ハンドルを握る手が強張った。水口は〈生え抜き〉の意味をこれほど実感したことはなかった。
会話が途切れる。
車は高速横浜新線を南下していた。戸塚を過ぎ、鎌倉が近づく。
「尾けられてるわ」
森宮が不意に言った。水口は動揺する。
「3台挟んで緑色のステーションワゴンが見えるでしょう」
水口はバックミラーに目をやったが、すぐにそれと確認することはできなかった。森宮は構わずに続ける。
「さっき黒のセダンと交代したんです。確証があるわけではありませんが、間違いないでしょう」
どうする?水口は自問する。相談相手になる榊はいない。電話連絡を取ろうとする前に森宮が続けた。
「‥‥気にしないで、このまま走らせて」森宮が言った。その口調はかすかに変化していた。「たぶん、あれは緑陽の防諜班です。わたしがYSPを出たので不審に思ったのでしょう」
「いいんですか?」
「あなたの身元が汚れてなければ、とりあえず問題ない。そして、もし汚れていれば、あなたはYSPに入れなかったでしょう。だから、あれは予防措置です」
森宮の言葉に水口はどきりとした。叩いて埃が出ない身ではない。しかし、それは表に出さず、問い返す。
「あなた方がYSPを出るときは、いつも尾けられるのですか?」
「たいていは護衛付きだから、それはありません。ただ、今回はやや特殊ですから」
水口は横目で森宮を見た。その時水口は彼女が眉をひそめているのに気がついた。それは初めて見る〈生え抜き〉の表情だった。その表情は水口を不安にさせた。