――C4-622の最新入居者情報
戸主:早蕨麻奈
共同居住:早蕨宮香(娘)
特記事項:現在不在
大庭地区コミュニティ管理センターに対するクエリーの結果がパッドに返った。水口は続けて転居先情報についてクエリーを投げる。
――現・旧居住者に対する個人情報問い合わせに関する権限がありません。
「何か判りましたか」
助手席の森宮が訊いた。水口は首を振った。その時、車の外の女性に背負われた赤ん坊と目があった。水口の頬が思わずゆるむ。
「‥‥少し手間取りそうです」
水口は少し考えて、蒼山系列下にある宅配業者のデリバリー管理コンピューターに侵入することにした。適当なプローブユニットを選択し、手っ取り早く藤沢支社にある分散ノードにデリバリー車両と見せかけてアクセスした。架空のデリバリー車両となったパッドは、支社の分散ノードを経由してコミュニティ管理コンピューターへ問い合わせをかけた。この問い合わせは転居前住所に向けて配送された荷物を転居先へ転送するために必要として、正規に認められている手続きだった。半年前なら、まだ転居先情報が消去されていない可能性が高い。水口はそれを利用した。
――転居先情報:
C4-622
関東省神奈川県湘南市大磯区‥‥
「あたり」
水口は呟いた。パッドからのコネクションを切断すると、ダッシュボードの上に放り出す。
「シートベルトはしてますね」森宮が答えるのを待たず、水口はアクセルを踏んだ。「茅ヶ崎に行きます」
高速湘南線を西へ。前方には丹沢山塊から伊豆半島へと続く稜線が霞んで横たわっていた。沖合いでは東西に伸びる波力発電装置の列が、西に傾いた日差しを受けて、白く輝いていた。
湘南新大橋を渡る。
「森宮さん」水口が前方を見たまま言う。「早蕨麻奈、という名前に心当たりはありますか」
「さっき言ったと思いますが」森宮の声ははずんでいるようだった。「早蕨麻奈はわたしたちの養育担当官でした」
水口は彼女の声の調子に不審を覚えずにはいられなかった。
「妹さんは、その早蕨さんの所に身を寄せたようですね。‥‥早蕨さんは定年退職を?」
「いえ。自発退社と聞いています。14年前のことです」
「どんな方でしたか」
「プロでした。子供たちは信頼を寄せてました。もちろんわたしも」
「妹さんも退社なされた」
「適性診断ではねられたんです。そうでなくとも彼女は辞めるつもりでいたようでしたが」
「なぜ辞めるつもりだったのでしょうね」
「わたしにはわかりません」
会話はそこで途切れた。
大磯出口ランプが近づく。水口は速度を落とした。
「森宮さんが探している指輪は、その早蕨さんのものだったのですね」
「そうです」
水口はそれ以上詮索することをやめた。水口に依頼された内容は指輪を探し出すことであって、必要以上に顧客のプライバシーへ踏み込むことではない。
車は出口ゲートを抜けた。カーブを描くスロープは5メートル堤防を貫通していた。堤防は相模湾全域をほぼカバーしている。かつてポップスに歌われた湘南海岸は上昇した海面に飲み込まれ、今その面影はどこにもない。
水口と森宮を乗せた車は、海岸線に沿って壁のように続く低層集合住宅の谷間を走った。集合住宅は昔ながらの下駄履き作りで、路面レベルの階がモールになっている。プラタナスの並木が続き、洒落たデザインの街灯が等間隔に並ぶ。数年前に流行した街並みのモードだった。
ナビゲーションシステムが右折の指示を出した。水口はハンドルを切り、壁の切れ目を抜ける道に車を進めた。その道を走りぬけるとき、2メートル程の高さがある鋼鉄製の防潮門が集合住宅の壁に収納されているのが見えた。
道はそのまま東海道線を跨ぐ陸橋につながっていた。橋の向こうには贅沢に土地を使った一戸建ての家々が敷地を並べている。
車は閑静な、どちらかといえばうら寂しい雰囲気を持つ住宅地へ入っていく。
道は細く、入り組んでいたが、水口はナビゲーションシステムの指示に従って車を走らせた。その間、水口も森宮も無言のままだった。
「ここですね」
水口は車を静かな袋小路の中で停めた。道に面した敷地から土塀を乗り越えて木の枝が張り出して影を落としていた。その木が何であるのか、水口には判らなかった。
「その奥に見える家が早蕨さんのお宅です」
「いるかしら」
「先に電話すれば良かったですね」
「そうね。でも、どのみち来なければならなかったでしょうし」
森宮はそう言うとシートベルトを外し、ドアを開けた。その時水口は袋小路の奥に見える門が開くのを見た。その門は木製の引き戸で、その戸を開けてショッピングバッグを背負った女性が出てきた。その顔を見て水口の顔がゆるんだ。
「あたりですね」
水口は言った。出てきた女性は森宮と瓜二つだった。
「そのようですね」
森宮は静かに答えた。