――最近あまり使われなくなった言い回しではあるが、トリルのような、という言葉がある。トランス=アルトに住むお年よりであれば、今でも使っているはずである。
愚直、といった意味合いをこめて使われることが多いのだが、本来は、自らの節を曲げない、という意味であり、否定的な言葉ではなかった。
トリル、というのは昔その名を轟かせたトリル剣士団に由来する。後世、剣士団はトリル遊撃隊とも呼ばれるようになり、トリル王家筋となるフェルマータ家の庇護下に入ったが、この言い回しとフェルマータに直接の関係はない。
この剣士団は、その末期において国家権力の走狗のようにふるまったことから評判を大いに下げたのだが、歴史を通してみれば、世人からは好意的に受け入れられていた。
トリル剣士団は、戦乱の世にありながら、イノバ教化地域において迫害されていたオンドの救出組織として発足した。コンサバ教会派に属してはいたが、実力行使を厭わなかった点で、コンサバの主流派からは異端視されていた。
それにも係わらず当時の民衆に好意的に受け入れられていたのは、彼らが基本的には人助けのための組織であったからであろう。
この剣士団は時を経るにつれ次第に変質し、最期にはトリル王国を治めたフェルマータ家の近衛的な存在に変貌する。その経緯については歴史上の避けがたい必然のようなところがあり、一概に非難することはできないのだが、そのことについてここでは触れない。
トリルのような、という言葉はトリル剣士団が発足して間もなく人々の口にのぼるようになった。
わたしの調べた範囲では、この言い回しは剣士団発足後10年ほど経った頃に書かれたとおぼしき手紙の中ではじめて表れる。マリスナ某というトリル市に住む商人が親戚筋に送ったものだが、その中で歳若い店商頭が、役人が決められた以上に税を取り立てようとするのを断固たる姿勢で跳ね除けたことを誉め、その姿を指して「トリルの剣士に似たり」と記している。
この時期、トリル剣士団はまだフェルマータの庇護下にはなく、単にトリラー教会が有する私兵組織でしかなかった。フェルマータが自らの手中にない武装組織を見逃すはずもなく、何度となく懐柔を試みている。しかしながら、オンドの人命救助を第一の旨とする剣士団は戦のために働くことを潔しとせず、かたくなにフェルマータから独立する姿勢を崩すことはなかった。
先の手紙からは、そうした剣士団を自らの側に引き寄せ、誇りと共に受け入れていた当時の市民感情といったものを読み取ることができる。
この、トリルのような、と呼びならわされる気風が、剣士団の存在によってトランス=アルト盆地に住む人々の間で醸成されてきたことは間違いない。この気風が、やがては夏至革命という歴史上の爆弾を破裂させる導火線となるのであるが、肝心のトリル剣士団そのものが、夏至革命を契機として消滅することとなるのはまこと皮肉なことであるといわざるをえない。
だが少なくとも、夏至革命が今ある市民社会の礎の一つであることを考えれば、トランス=アルトの人々は、この「トリルのような」人達を先祖に持ったことを誇りにしてよいと思う。
『トリルのような、について』(レシ・トライオン 1989)