その館は夜半をとうに過ぎたというのに窓という窓から明かりが漏れていた。派手に騒ぐ声、皿の割れる音、笑い声。ガトからはるばる運ばれた見事な窓ガラスは無残にも割れて石畳の上に散らばっていた。
館をぐるりとめぐる通りに人影はなかった。館の正面に面している、メゾプラノ=フェルマタ通りは普段なら荷車の数台が通ってもめずらしくはなかったが、それすらも絶えて久しい。周囲の建物はすっかり灯が消え、重苦しく静まり返っている。子供の夜泣き、睦言、ひそやかな笑い声、痴話喧嘩、そうした生活の気配はまるきり消えていた。
理由はあった。
一群の男達が騒がしい館を中心に周囲1ブロック程距離を置いてぐるりと取り囲み、周囲からの人間を寄せ付けないようにしているのと同時に、付近の住人を強制的に、そして静かに囲みの外へと出しているのだった。
取り囲んでいる男達は二群に分かれていた。一方はトリル近衛連隊の兵隊達で、彼らは黒地に赤と金をあしらった制服を身に付け、銃剣を取り付けた長銃を手にしている。もう一方は着ている物も装備もばらばらで、ただ革の胸甲を身に付けていることだけは一致している男達だった。彼らはトリル剣士団の男達であり、周辺を封鎖している近衛とは違い、館からは見えない路地の奥にあるちょっとした広場に集まっていた。全員で20人程だった。どこからか調達した、半ば朽ちかけたテーブルに図面を広げ、数人が小声で話し合っている。図面は件の館の詳細な見取り図だった。
「この使用人口を使うしかないだろうな」
僧衣の上に胸甲を重ねた男が言う。彼は剣を携えてはいなかった。
「通用階段が近いのはいいとして、最後の客間まで距離があるのが難点だな」
鎖兜を被った男が答えた。そうだなラエン、と別の男が応じる。
「だからこそ、ナガハマとエングを連れてきたんだろう。最後の詰めはこの二人に任せるしかないだろう」
ナガハマは苦笑した。
「俺も人がいいよな」
テーブルの周りに抑えた笑い声が広がった。
「後ろを固めておいてくれれば、変に気を使わずに済むね。頼むぜ。後ろからばっさりなんて、やめてくれよな」
と、エング。薄ら笑いを浮かべている。
「何のために3階に6人も使うと思う? ここにいるのは剣士団の中でも手錬で知られた猛者ばかりだ。後詰は心配するな」
「悪かった。信用していないわけじゃない。確認したかっただけだ」
「むしろ心配なのは近衛だろう、カナカ坊」
僧衣の男が訝しげに見返す。
「俺たちが最後を締めるまで、おとなしくしていてくれるのかね。最後の最後でなだれこんで、全部台無しにしちまうんじゃないのか」
「一応、連隊長から言質は取っているがな」カナカ坊は皮肉気な笑みを浮かべる。「我々がここまで出張ったのは、アルト=フェルマータ女王直々の嘆願によるものだ。連中だって女王の体面を潰したりはしないだろう」
「御女王も面倒なことをなさる」
「近衛にこんな器用な真似が出来るとは思えんからな。適材適所って奴だろう」
「どっちが近衛なんだか」
「連中も黙っちゃいないだろうな。いずれ、何か言ってくるさ」
「無理難題を」
「くだらねえ。囀るのは無能な証拠さ」
カナカ坊は一つ咳払いをした。
「その辺にしておけ。――ニキ、ナガハマ、エング、ユエキは残ってくれ。細部を詰める。他の者には四半刻後に改めて説明する。刃を研いでおけよ」