羽田の空は高かった。そろそろインディアンサマーと呼ばれる呼ばれるようになる時期だ。ロビーは比較的閑散としていた。わたしはいつものようにサングラスを通して周囲を見ている。
叔母がカナダエアーのチェックインカウンターから戻ってきた。
「世話になったわ」
「いいのよ」
わたしたちは並んで出国審査場前にあるセキュリティゲートへ歩いた。見上げると、監視カメラのレンズが正面にあった。カメラとして露出している監視カメラは、監視しているというメッセージだった。実際にはただのモックアップかもしれない。監視しているという行為ではなく、監視されているというメッセージの方が有効な場合がある。――わたしは苦笑した。仕事は忘れよう。
叔母が何事か言い、わたしは訊きかえした。
「ホリイと話して少しすっきりしたわ」
「おいしいものも食べれたし」
「マルゴのカードでね」
わたしたちは笑った。
「また来ようかしら。次は奈良、京都ね」
「飛び出して来るのはやめてよね」
「そうするわ。‥‥いつか、ケンとマルゴと三人で旅行したいわね」
「すればいいじゃない」
「三人ともそれぞれ仕事があるしね。なかなか時間が」
「でもどうせ、ママのカードを使うんだから、三人一緒じゃ都合が悪いわね」
「あなた、ワルになったわね」
叔母は笑った。セキュリティゲートの前に着く。
「それじゃあね、ホリイ」
「バイ、ソフィー」
叔母は軽くわたしを抱きしめるとトランクを連れてゲートをくぐっていった。係員がわたしを不審な面持ちで盗み見ているのに気付いた。サングラスのせいだ。わたしは係員を見つめて微笑んでみせる。彼女は視線をそらした。
叔母はゲートを抜け、しばらく歩くと振り向いて手を振った。わたしも手を振り返す。叔母はそのまま出国審査場へと向かっていった。もう振り返らなかった。別に淋しくはなかった。電話を使えばいつでも顔を見ることはできる。
わたしはセキュリティーゲートの前を離れた。
電話を使えばいつでも会える。ゆうべ母と電話したように。別に特別なことでもなんでもない。
反対する理由はないじゃない、と母は言った。
『結局、ソフィアは受け入れることになるわ。今はためらいがあったとしてもね』
母は見透かしている。
「でも、だからといって急かしても。わたしだって反対する理由は殆どないけど、押し付けるようにしてもしこりが残る」
『早ければ早い方がいいじゃない』
「今のわたしの仕事でも同じ問題があるのよ。知ってるでしょう? 〈ナイチンゲール〉サービスは。クライアントに強制すると、結局モニタを切られたりするのよ。自発的でないとうまく行かない」
『それもおかしな話ね。でも、サービスを解約する人はいないんでしょう』
「ええ」
『まぁ、解ったわよ。ソフィアの迷いがなくなるまで待つことにするわ』
「そうしたほうがいいわよ」
『仕方ないわね。なんとかなだめて、こちらに帰らせてね。あんなにカードを使われるとは思わなかった。それじゃあね』
「バイ」
僅かな時差がもどかしい。
母は叔母が結局は健康監視プログラムを受け入れることを知っている。それがわたしの感じる違和感の原因だった。母は今ではなく、将来の叔母を見ていて、結局は実現することが解っているのだから、それを今すぐ実現しても同じことだと考えている。
しかし、わたしも叔母も、彼女が見ている将来の時点に生きているわけではない。そこに至るまでの時間を省略して、一足飛びに結論を出すことはできない。わたしたちは、降り立った空港で時計を合わせるように、思想や感情を推し進めていくことはできない。ジェットラグは強い光を浴びれば楽になるけど、そんな風にはいかない。
わたしは空港ロビーを出た。レンタルした車が近づいてくる。
叔母のことだ。時間さえかければ賢明な答えに辿り着くだろう。わたしは叔母を信頼している。わたしがあれこれ口を出すことではない。たぶん、それが日本に来た理由なのだろう。ある意味、叔母は母から逃げ出してきたのだ。
わたしは首を小さく振った。あとは彼女らの問題だ。
レンタカーがわたしの前で止まり、扉が開いた。わたしは車に乗り込み、横浜へ向かうように指示する。仕事に追われる日々が待っている。
レンタカーは静かに走り出した。わたしは窓から離陸するところが見えるのではないかと期待したが、それにはまだ早すぎた。ただ、空港施設の間から、カナディアンエアー機の尾翼が見えたような気がした。
わたしはそれで満足だった。