勇気のしるし
3.

 いまやちょっとした幅をもつだけの運河と化した東京湾は、真昼の陽光を浴びて眩しく輝いていた。右手には東京島の低層ビル群が並ぶ。それは近年のギガコンストラクチャー技術の成果だったが、水口にはその景色を楽しむ余裕などなかった。
 水口の前の席に、加崎とヘリのパイロットが座っていた。このヘリに乗込む前、ヘリの腹に機銃らしきものがぶら下がっているのをちらりと見かけたが、引き金をひくのはどちらなのだろう。水口の脳裏をちらりとそんな考えがよぎった。
 加崎はパイロットに指示を出している。水口の装着端末から延びる〈耳〉が鳴った。
『裕子、榊だ。そっちの様子はどうだ。まだパッドは破壊されていないようだが』
 水口は小声で答える。顎に貼り付けられた骨伝導マイクは確実に彼女の囁き声を拾っていた。外部の騒音は〈耳〉に付けられたマイクからの波形を反転させたものを重ねて相殺させる。
「今、ヘリに乗って北に向かっています」
『場所の目星はついたのか』
「NTNの話だと八潮に向かっているそうです」
『どこだって?』
「昔は大井埠頭とかいう‥‥」
『なるほどな。逃げ込むにはちょうどいい。こっちの方はこれから離陸する。プレゼンデータはバースト送信で吸い出す。NTNに、バーストウィンドウを取れないか訊いてくれ』
「どういう意味です」
 水口はまだこの仕事に馴れていない。
『バーストウィンドウって言えば向こうはわかる。トラッキングがどうこうと言ってきたら30秒で済むと答えろ。回線を開けてくれるはずだ。頼むぞ。吸い出せないと実行も向こうでさせないとならなくなるんだ。そんなリスクは犯したくない。大丈夫、言うこと聞いてもらえるさ。お前は別嬪さんだからな』
「わかりました」
 水口は半ばあきれながら答えた。回線は切れた。やれやれと思いつつ、水口は加崎に声をかけた。エンジンの騒音がキャビンの中に響いていて、声の通りが悪い。水口は2度も声を張り上げなければならなかった。ようやく加崎が気が付く。
「なんです!回線経由で頼みます!」
 水口は赤面した。加崎が持ち上げて見せた装着端末のアドレスをつかって回線を開く。
「バーストウィンドウを取れませんか」
『盗まれたパッドから吸い出すんですね』
 水口はだいたいの見当をつけて頷く。
『どのくらいの時間ですか』
「30秒で足りるそうです」
 加崎は何事か呟いたが、その声は水口の方には流れなかった。しばらくして加崎は答えた。
『いいでしょう。トラッキング班にウィンドウを開けさせます。しばらく待ってください』
 水口は頷いた。回線をブランチさせ、榊の装着端末を呼び出す。
『どうだ』
「OKです」
『じゃ、ウィンドウ開始の合図がNTNから出るはずだ。この回線はつなぎっぱなしにする。合図が出たら知らせろ。吸い出す』
「わかりました」
『よくやった』
 ばかにしてるのかしら。水口は思う。まぁ、それほど悪い気はしないのだが。

'The Sign of Courage'
Satoshi Saitou
Create : 1995.12.01
Publish: 2010.07.04
Edition: 3
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