勇気のしるし
2.

 水口は加崎に続いてバンに乗込んだ。バンの横にはNTNデータセキュリティと大書してあった。二人が乗込むとバンは東京湾島空港のターミナルを後にする。
「これからどこへ」
 水口は訊いた。バンの窓からは東京湾と、その向こうに霞むビル街の姿が望めた。
「浮島町の営業所に折り良くヘリがあります。それに乗り換えます」
「大丈夫なんでしょうか」
「ご安心を。通報を受けた時点で幕張がトラッキングを始めています。後は我々がパッドのプロテクトが破られる前に到着すれば良いだけです」
「済みません。お手数かけます」
 加崎は安心させるように微笑んだ。
「そういう仕事です。ご心配はいりません。我々はこういうことには慣れっこなんですよ」
 バンは東京湾上を抜け、川崎に入った。水口は地図を思い浮かべた。すでにここは浮島町のはずだった。
 水口は窓の外に目をやった。ほんの数十年前まで、この辺りは重化学プラントがその威容を誇っていたはずだが、今その面影はまったくなく、清潔なオフィス街に変貌している。
 バンは角を曲がり、運河沿いの道を走った。その先にはNTNデータセキュリティ浮島営業所の敷地があった。

 機内に入ると、榊のクライアントであるリョクヨウ・モード社の韮崎が出迎えた。韮崎はリョクヨウ・モード社のマーケットモチベーティング部門に勤めており、デザイン部門が提案した新しいモード・テンプレートの有効性を裏付けるためのデータリサーチを榊に依頼したのだった。リョクヨウ・モード社は今回の新モード・テンプレートで他のアパレル各社を一気に劣勢へと追い込むつもりで、今日のプレゼンテーションは同社と取引しているバイヤーや被服メーカーをリョクヨウの新モード生産・販売体制に抱き込んでしまうためのものだった。
「遅れるのではないかとひやひやしたよ」
 韮崎が言った。
「済みません。トラブルがありまして」
「まさかパッドを忘れたわけではないよね」
 韮崎はひきつった笑みを浮かべている。神経の細い男だ。
「ここではちょっと。‥‥人気のないところで」
 榊は韮崎を手近にあったキッチンに押し込んだ。カーテンを閉める。
「韮崎さん、実は置き引きに遭ってしまったんだ。パッドを盗まれた」
「おい。それじゃあ」
 韮崎は血相を変えた。
「そう、データのつまったパッドはここにはないんです。いまうちの連れがNTNのデータセキュリティと一緒に取り戻しに向かっているところです」
「しかし、プレゼンには間に合わないだろう」
 榊は肯いた。
「そうです。回線経由で吸い出すしかありません」
「それじゃあ、わざわざチャーターした意味が‥‥」
 韮崎がうめいた。榊には彼が言いたいことが良くわかった。会議の盗視聴を避けるためにチャーターしたのに、データ通信を行なってはその意味が無い。
「わたしはあのパッドに使い捨て暗号とバースト送受信装置を採用しています。傍受されたとしても複合される可能性はかなり低いでしょう」
「バースト‥‥何だって?それはこっちで受け取れるのか? まぁ、いい、何にしてもそれでいくしかない」
「大丈夫。こちらで借りたパッドで受信できます」
 榊は上着の内ポケットに外付けのバースト送受信装置とデコードモジュールを忍ばせていた。
「うん、まぁ、最悪の事態は避けれられたわけだ」
「ええ、そうです」
 榊は微笑んだが、それは彼得意のはったりだった。水口の連絡が待ち遠しかった。

'The Sign of Courage'
Satoshi Saitou
Create : 1995.12.01
Publish: 2010.07.04
Edition: 3
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