ミッション
5.

 斜面の上を覆う森が茜に染まるのが見えた。頭上に浮かぶ城のように大きな雲はすでに白い。谷底まで日が差し込むのももうじきだろう。
 しかしナガハマに日の出を意識するゆとりはなかった。足を濡らす川の流れもそれとは意識していなかった。目の前に並ぶ銃口の列をただ注視している。
 しかし、覚悟したような最期はなかなか訪れなかった。ニキと尼は顔を強張らせて彼を見つめている。
 なぜ撃たない。
 ナガハマは敵の指揮官を目で探した。こんな人里離れた山奥だ、死体を隠すことは簡単にできる。なぜそうしない。
 やがて、遅れて一人、森の中から男が出てきたことにナガハマは気がついた。窮屈な黒っぽい服に派手な金飾りを付けている。銃も剣も持たず、細い、まっすぐな杖を脇にたずさえていた。士官だった。その後に続いて、兵士ではない、おそらく村の人間とおぼしき男が続いた。
 二人は兵士の列を抜け、川原に出るとまっすぐにナガハマ達の方へ歩いて来た。ナガハマは訝しく思う。その表情の変化に気がついたのか、ニキとユキカ尼の落ちつきが無くなった。
「じっとしてろよ」ナガハマは静かに声をかける。「あっさり殺してくれるわけじゃなさそうだ」
 士官と村男はすぐそこまで来ていた。
「逃げようとするなよ」
 士官はそう言うと、ニキまであと10数歩というところで立ち止まった。脇に従えた村男に顎をしゃくってみせる。村男は軽く頷くと、ひょいひょいと岩を渡りニキの前に回りこんだ。ユキカ尼の顔を確かめると、へへっ、と小さく笑う。尼の顔が険しくなった。
「間違いねえです」
 その声を聞いてナガハマもようやく思い出した。この村男はあの経堂の袖部屋にいた男だった。ユキカ尼は俯いた。空いた右手は硬く拳が作られ、真っ白になっている。ニキが心配気に彼女の顔を覗きこんでいた。
「お前等の頭領は誰だ」
 山賊扱いか。ナガハマの顔が険しくなる。全身の緊張を解き、背筋を伸ばした。
 わたしだ。
 そう言おうとしたとき、ユキカ尼が鋭く、刺すように言った。
「私です」
 尼はニキに貸していた肩をそっと外し、腰を伸ばした。
「コンサバのユキカ尼です」
「尼様がミッションの指揮をとるとは御珍しい」
「違う」ナガハマは遮るように言った。「俺達がその尼様と、子供二人を助けに来たんだ」
「助けに?」士官は顔をしかめる。「お前等が襲った村で、何人怪我したと思う」
「お前がつれてきたその男、この尼様を汚したんだぞ」
 ナガハマが言うと、ユキカ尼は驚愕の表情を浮かべてナガハマを見つめた。済まない、とナガハマは思う。
「本当か」士官は呟き、村男に向き直った。「今の話、本当か。法衣を汚したのか。坊主二人を殺したのも、お前等なんだな」
 男はくちごもった。士官はそれで充分だと判断したらしかった。
「逃げた二人は、このことを知っているんだろうな」
 ナガハマは何を言われたのか解らなかった。ニキが「ゴンドだよ」と小声で言いようやく言わんとすることを察した。振り向くと、ゴンドとダンダの姿が無かった。無事に対岸の林へ逃げ込めたらしい。
「もちろんだ」
「もっと早くけりをつけるべきだったな――」
 ナガハマは答えなかった。口の端をゆがめて笑みを浮かべる。士官は続ける。
「――時間切れだ。トリルの斥候がそこまで来たようだ」
 ナガハマは振り向いた。対岸の林の中、銃を手にしたトリル兵の姿が2、3動いていた。アルベゾの国境警備分遣隊だろう。
「お前等を捕縛したり、処刑したりすれば、ここは戦場になるだろうな」
 ナガハマはゆっくりと敵士官の方へ視線を戻した。ナガハマはユキカ尼がニキの背中にある剣の柄を握っていることに気がつく。士官の方もそれに気が付いていた。だが、動じたそぶりは見せない。
「この男を殺したいですか。尼様。その気持ちは解るつもりだし、場合によっては見逃すところです。しかし、もし剣を鞘から引きぬけば、私の部下は即座に発砲する。そうなればトリルも撃つ。部下がそれに応戦する。それが何を意味するか、御分かりですね。再び戦になってしまう」
 ユキカ尼は柄を握り締めたまま動かなかった。目はまっすぐに村男を睨みつけている。搾り出すように答える。
「私は、もう、とうの昔に尼でなくなったのです。聖域は汚されたのです」
「お気持ちは良く解る。イノバにせよ、コンサバにせよ、法衣は護られるべきだ。だが、この男の処分は、私に任せてもらえませんか」
 尼は答えない。動かない。
「ユキカ尼」ナガハマは呼びかける。「頼むから、その手を放してください」
 ニキは不安気にユキカ尼を見上げていた。彼が身体を動かせば、もしかしたら尼の手から柄が離れるかもしれない。だが、そのはずみで剣が引きぬかれるかもしれなかった。それを考え、ニキは動けなくなっていた。
「尼様。後生だから、堪えてくれ」
「その男を殺せないなら、ここで死んでも構いません」
 村男は引きつったように笑った。
「なら、死にな」
 士官が脇にたばさえた杖を素早く振り上げ、男を打った。
「このコルが。いい加減にしろ」
 彼は渋面を作り、ナガハマを見やった。
「私と私の部下が護っているのはこういう人間というわけだ」自嘲するように微笑む。「いかにも分が悪い。――尼様、剣を抜きますか。戦が起これば、国境沿いに住むこの手に人間は一掃されるでしょうな」
「私は――別に」
 ナガハマは肩越しにそっと振り向いた。森の中のトリル兵は増えている。この川原にいる者は誰一人生き延びないだろう。
「その結果に責任を取る覚悟がおありなら剣を抜きなさい」
 ユキカ尼の全身を縛っていた緊張が解けた。柄に手をかけてはいるが、先ほどまでの殺気は消えている。それを確かると士官は踵を返した。驚いたように村男が後に続く。
 やがて士官と村男が森に消えると、敵兵も森の中へ引いていった。
 ナガハマは未だ剣から手を放さないユキカ尼に声をかけた。
「尼様。川を渡りましょう」
 ニキが身じろぎした。
「肩を貸してください」
 尼はゆるゆると動いた。ニキに手を差し伸べる。ニキはその手にすがった。
「済みません」
 ユキカ尼は答えない。その表情は透明で、その瞳は石のようだった。ニキは尼に支えられ、足をひきづりながら歩いた。
 これで終わった。ナガハマは実感した。ミッションが終わった。
 だが、その思いは重苦しいものだった。飲み下すことも吐き出すこともできず、ただ苦い。

 川を渡りきった時、彼らが逃げてきた森から一つの銃声が響いた。ニキとナガハマは振りかえったが、ユキカ尼とオンドは振りかえらなかった。まるでその音が無かったように。

'The Mission'
Satoshi Saitou
Create : 1999.09.13
Publish: 2010.07.28
Edition: 2
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