村は森の縁と接するようにたたずんでいた。光る星野が村の向こうに伸び上がり、大きな月は闇の星野に浮かぶ。小さな月はまだ見えない。
村の周囲には空掘が廻らされ、掘った土を使ってさらに土塁が作られていた。村へ入るには堀にかけられた二箇所の橋を使うしかない。村の門は開いていて、そこから明かりが漏れていた。耳をすませば小さな声ぐらいは聞こえるかもしれない。しかし、夜はとうに更けており、土塁の外から村の様子をうかがうことは難しかった。
そして同様に、村からも外を伺うことは難しかった。月明かりは森の表をなぜるだけで中へ届くことはない。森は夜に融けていた。森は闇に同化して、無言のままに横たわる。
その闇に動く男たちがいた。下草を踏む音だけが聞こえる。彼らは森の中から村の門を見通せる位置についた。
彼らは五人いた。うち三人は剣を背負い、鎖で裏打ちした革の胸甲を身につけている。残る二人も革の胸甲を身につけてはいたが、剣を背負ってはいなかった。一人は強弓を手に樹上へよじ登り、残る一人は大きな背嚢を背負っている。背嚢を背負った男は首から金の魚を鎖で下げていて、その魚が男の身分を語っていた。
剣を背負う三人のうち、一番小柄な男が樹上を見上げた。口を丸め、頬を膨らまし、ゆるやかに声を発する。
「クォー、コォー、コォー」
太い枝の上にようやく陣取り、強弓を構える男がそれに答える。
「クククク‥‥ココココ」
彼は弓柄の側面についているハンドルを倒した。梃子の力で強弓の弦が音をたてて強く引き絞られる。男は弓弦にボルトを合わせるとそのまま静かに持ち上げ、村の門から続く通りを狙った。彼はこの古臭い弓が好きだった。硝煙の匂いは好きになれなかった。
小柄な男は村を向いたまま片膝を落として待機する二人の背中を順に叩く。二人は中腰のまま村へ小走りに進み、小柄な男も同様の姿勢でその後に続き、門へ近づく。金の魚を下げた男は何歩か前に出て、先を行く三人を見守った。三人の姿は最初夜に沈み判然としなかったが、門へ近づくにつれ村からこぼれるわずかな光を浴び、その輪郭が影となる。
三人は橋をすばやく渡ると、二手に分かれて門柱に寄り添うように立ち、その陰に隠れた。金の魚を下げた男はそこまで見届けると、自らも背嚢を背負ったまま小走りに森を飛び出す。橋までは五十数歩。だが彼は橋のたもとで脚を止め、そこで背嚢を橋の上に置いた。村からは丸見えの位置だ。男は背嚢から香油木を手際良く取り出すと胸甲の脇に縫い付けられた留め輪に差し込んだ。そして腰のベルトに括りつけられたポーチを開き、中にオイルライターがあることを確かめる。最後に金の魚に手をやり、掌の上で僅かの間見つめると胸甲の中へ隠した。顔を上げると門柱の陰に隠れた三人と目が合う。彼は頷いた。右手を上げ、指で門の先を指し示す。
三人は剣を背負いながらも俊敏に動いた。すばやく身を翻し、門の中へ跳びこむ。僅かに遅れて金の魚を持つ男も後に続いた。
村人は外を出歩いていたりはしなかった。ただ、夜風を入れるために戸を上げてある窓から明かりが外へこぼれているだけだった。四人は土くれを巻き上げ、通りを走る。足取りに迷いは無かった。
目指す建屋は教堂だった。村の中心から僅かに外れた所に建てられている。剣を背負う三人は、背中の鞘から得物を引き抜いた。小柄な男ともう一人が扉を挟んで壁にはりつき、残る一人は向きを変え、周囲に目を配った。最後の一人、剣を持たない男は香油木を引き抜き、空いた手を使って腰の袋からライターを取り出すと、蓋を親指だけで器用に開けた。赤い炎が踊る。それを香油木に押しつけると、乾ききった香油木はいくらも待たないうちに燃え上がった。強い香りが辺りにたちこめる。男は炎が木片全体にまわる前に地面へ落とした。
それが合図だった。
燃えあがる香油木の光を浴びて、小柄な男が教堂の扉を激しく叩いた。
扉が開く。ランプを手に男が顔をのぞかす。男の視線は燃え上がる香油木にひきつけられた。その隙を逃さず壁際に控えた男が素早く剣を振るう。ランプが落ち、ほやが割れた。顔を出した男は腹を抱えて倒れこむ。血は流れなかった。刃は潰してあった。壁際に控えた二人は倒れた男をそのままに教堂へ跳びこむ。残る二人も後に続いた。
内部の見取り図は四人の頭の中に叩きこんであった。村人全てが収まるだけの長椅子が並ぶ講堂を走り抜け、向かって右の袖部屋へ。内通を信じるのなら、そこに求めるものがあった。
小柄な男が袖部屋前に達したとき、その扉が開いた。また別の男が姿を現す。
「お前等‥‥」
最後までは言わせなかった。小柄な男は背を丸め、頭から相手の懐へ飛び込む。そのまま袖部屋へと押しこんだ。残りの三人も袖部屋へ押し入る。
袖部屋の中で彼等を迎えたのは二人の虚ろな顔をした子供と、一人の怯えた尼だった。押し倒された男が床の上に転がり、うめき声を上げている。小柄な男がその男の腹に一蹴り入れるとその声は殆ど聞こえなくなった。
「坊さん」小柄な男が、剣を持たない仲間に話しかける。「彼等だな」
坊さんと呼ばれた男は軽く頷くと、怯えた顔――深い青に白のストライプが一本入ったフードを目元まで被った白い顔の持ち主――に向き直った。後手にされ、両足を縛り上げられたまま床に転がされている。
「ユキカ尼、ですね。コンサバ-コンサブのアマナ坊です。――ゴンド。縄を」
ゴンドと呼ばれたのはここに押し入った中で一番の大男だった。彼は剣を背の鞘に収めるとベルトから手剣を抜き、岩のようにごつく大きな手を器用に動かして、尼の縛めを手際良く断ち切った。
「ユキカ尼、他にもいると聞いていましたが。タナタ坊という方は‥‥」
尼は俯いたまま答えなかった。アマナ坊は小柄な男を振りかえる。
「ナガハマ、ゴンドとニキにオンドを背負わせよう。その方が早い」
「そうだな。――尼様、足の方は大丈夫ですか」
尼は答えない。男たちは怪訝そうに尼を見下ろした。ようやく、小さな声で答えが返る。
「私はもう尼ではありません」
彼等は彼女の青い衣にどす黒い染みが広がっていることにようやく気がついた。それは乾いた血だった。腰の辺りを汚している。男たちの表情が沈んだ。
「黒蛇か。ここの連中は」
ナガハマが吐き捨てるように言った。
「尼であるかどうかを決めるのはコンサバ会です。あなたはまだ尼だ」
アマナ坊はそう言うとユキカ尼の手を掴んで引き立たせた。
「わたしは‥‥わたしの信心が足りないから」
「しっかりしなさい」アマナ坊は尼の肩を掴んでゆさぶった。「あなたには二人のオンドを護る義務がある。まだそれは終わっていない」
「わたしには、もうそんな資格は、もうないのです」
「長居は無用だ」目は尼に向けたまま、アマナ坊はナガハマに言った。「出よう」
「ゴンド、ニキ」
二人の男は虚ろな顔をした子供二人を背負った。ナガハマが先に部屋を出る。
「行きますよ」
アマナ坊は尼の手を引いた。ニキとゴンドがその後に続く。ゴンドが部屋を出る時、床に転がった男に一蹴り入れた。
香油木はまだ燃えており、周囲に影が踊った。先を行くナガハマが左手を振って行先を指示する。目的はすでに達した。後は速やかに村を出るのみ。
しかし、それは突然起きた。
建屋の影から男が飛び出し、アマナ坊に襲いかかった。不意を突かれ、坊はかわすこともできずに頭を割られた。尼の悲鳴が夜を裂く。
ナガハマが振り向くと、坊が前のめりになって地面に崩れ落ちるところだった。坊を襲った男は手にした剣を横ざまに構え、今度は尼の胴を断ち切ろうとしている。ゴンドとニキは子供を背負い、すぐには剣を使えない。ナガハマ自身も間に合わない。覚悟を決める。
尼は斬られる。仇は討てる。
ナガハマは足を踏み出した。刃を潰した剣だが、相手の骨を叩き折ることはできる。
その時、賊の足に矢が突き刺さった。賊は地面に倒れ、みっともない喚き声をあげた。反射的にナガハマは腰を落としているが、その矢がどこから飛んできたものか、即座に理解していた。ナガハマは坊の遺骸を前にしゃがみ、死体から血に濡れた金の魚を取り上げた。視線を上げると、一切の表情を失った尼の顔があった。だが、彼女には構わず、ナガハマは二人の仲間に指示を出す。
「ゴンド、ニキ。走れ。門だ」
村の門まで30歩ほどの距離だった。尼の悲鳴と賊の喚き声で、村はすっかり目覚めていた。村中が騒がしい。これだけの手勢で、村全体を相手にすることは願い下げだった。どちらの為にもならない。
幸い、音も無く闇から飛来する矢が、彼等を捉えようとする者を牽制した。扉が開き、明かりが外に漏れるたびに、矢が音を立てて地面に突き刺さる。中には恐怖を殺して表に飛び出し、四人の行く手を塞ごうとする者もいたが、しかし、矢は容赦無くその背中に射掛けられる。矢が当たることはなかったが、その効果は充分だった。
ゴンドとニキは子供を背負い、ナガハマは尼の手を引いて、彼らは門へ一心に走った。時折矢が空を裂く音がする。背後では怒声。何かが頭上のすぐ上を越えて飛んで行き、地面に落ちて大きな音を立てた。鍋だった。村の女たちが手近にあるものを投げつけてきたのだった。ニキが大きく毒づく。彼の歳若い御新造には聞かせられないような言葉だった。
四人はやっとの思いで門を抜ける。ナガハマは尼を思い切り引き寄せると、今度は背中に手をやり、思い切り押した。
「まっすぐ走れ」
ゴンドとニキが尼を両脇からエスコートして並んだ。ナガハマは僅かの間、三人を見送る。そして腰のポーチからライターを取りだし、火をつけると、橋のたもとに置いてある背嚢に投げつけた。背嚢はゆっくりと燃え始める。
ナガハマは背嚢に火が移ったことを確かめると、先を行く三人の後を追って走った。
「伏せろ! 伏せるんだ」
その声を聞いてゴンドとニキは背中の子供を降ろし、前にかばうようにして覆い被さった。ユキカ尼はなお走り続けようとしていたが、かろうじてニキがその手を掴み、無理やり地面に引き倒した。
その時、背嚢が爆発した。ナガハマは背中から熱風を受けて前に転がる。不思議と冷静なもので、彼は自分が何回転がったのか数えていた。六回を数え、ようやく彼は止まった。
「くそ」
全身の痛みをこらえてナガハマは立ちあがった。口に入り込んだ土を唾と一緒に吐き捨てる。周囲には木片が散らばっていた。空堀にかけられた橋はなくなり、門柱は焦げて傾いる。村は静まり返っていた。今の爆発が彼らの気勢を殺いだことは間違い無かった。だが、それもいつまでも続くわけではない。自分たちの目の前で行われた暴虐に彼らはいきり立ち、すぐにも追手を繰り出すだろう。ここで立ち止まるわけにはいかない。そのつもりもない。
「無事か? 無事だな」
ゴンドとニキが何事も無かったかのように立ちあがる。子供二人も平然と立ちあがった。だが、尼は地面に伏せたままだ。
「尼様?」
呼びかけに彼女はゆっくり頭を動かした。
「さぁ、立って。行きますよ」
漫然と、まるで鉛玉をひきずっているかのように彼女は身を起こす。目は開いているが、しかし、何も見てはいなかった。
「尼さん!」
ナガハマは怒鳴った。ようやく彼女の視点が定まった。
「行きますよ」
「‥‥どこへ」
「トリルです。もちろん」