ミッション
4.

 薄暮がついに終わった。日が昇る直前の空は白く輝き、レッタスの稜線を黒々と浮き上がらせていた。その懐にはメゾ川がある。メゾを渡ればそこはトリル
だった。
 周囲はすでに明るく、すぐそこを流れているメゾ川が木立の向こうに見えている。決して遠くはない。森を抜け、川原を走ればいい。しかし、森を出ればその途端に撃たれるだろう。
「右手にも回り込まれました」
 ダンダが倒木ごしに覗きながら言った。
「良く見えるな」
 ニキが漏らす。
「見えやしません。聞こえるんですよ」
「どうする」
 ゴンドが言う。
「訊くなよ」
 ナガハマは小さく呟き、川原へ目をやる。まだ朝日に照らされてはいないがそこはすでに充分明るい。見とおしも良い。
「わたしが」思いつめたようにユキカ尼が言う。「わたしが囮になります。皆さんはその間に」
「どうやって」
「わたしが走って彼らの注意を引きます。その間に」
「アホか」ニキが吐き捨てるように言う。「そんなに甘い連中じゃない」
「いいえ。大丈夫です。わたしは死んだ身です」
 その言葉を男たちが理解するより早く、ユキカ尼は隠れ場所から飛び出している。ナガハマは慌てて手を伸ばしたが遅かった。
「くそ」
 ダンダは石弾を撃ちはじめていた。狙っているわけではない。ただ見当だけで弓を引く。ナガハマは銃声がこだまする中、尼を追って倒木を乗り越えた。ニキとゴンドが子供を背負ったままその後に続く。
 ユキカ尼はこれまで見せなかったほどに足が早かった。斜面を勢いにまかせ、衣の裾が泥をこするのも構わず走る。ナガハマは背を丸め、鉛弾の飛び交う音に胆をひやしながらその後を追った。今はまだ立木が弾の邪魔をしてくれている。だが、川原に飛び出たら遮るものは何もない。
 ユキカ尼はまばらに並ぶ木立の間を縫うように走る。足元からは落ち葉が舞い上がった。ナガハマは焦る。もし尼が一人で川原へ飛び出したら、一緒に後を追うべきなのか、それとも自分たちは木立の間にとどまるべきなのか。迷っている時間はない。森の縁はすぐそこまで迫っている。
 追いつかない。
 ナガハマが観念したとき、ユキカ尼の足がもつれ、積もった落ち葉に倒れこんだ。追いついたナガハマはその上に覆い被さる。二人はそのまま落ち葉の上を滑った。ナガハマは女の体臭を嗅ぐ。その身体は小柄で張りがあった。
「放しなさい。無礼者」
「うるさい。黙れ」
 暴れるユキカ尼を全身で押さえこむ。ナガハマの目の前で撃たれた落ち葉が舞い上がった。
「暴れるな尼さん。あんたが死んだって俺たちは助からねえんだ」
 周囲の木立に幾つもの弾がめり込む音。ナガハマはユキカ尼をかばった。
「狙い撃ちされているんだ」彼は尼の耳元で囁く。「あんたは囮になりゃしない。誰も助けられない。ただの的になるだけだ。連中を楽しませるな」
 ユキカ尼はようやくおとなしくなった。だが、その替わりにうめき声が漏れる。最初ナガハマはその声を唸り声と間違え、ついに尼の気が触れたかと思った。しかしそれは違った。尼はナガハマに押さえ込まれたまま、声を押し殺して泣いていた。ナガハマは尼の上から横に転がった。
 そこへニキ、ゴンド、ダンダが追いつく。ダンダは強弓を手にしていなかった。右腕から血を流している。ナガハマが目だけでダンダの腕を見やると、ダンダは不敵な笑みを浮かべた。
「この場所はまずい」ゴンドが言いながら、背中の子供を降ろし、胸の下にかばう。「立ち止まるよりは、川原を走った方がマシじゃないか?」
「おまえはデカいから、いい的になるだろうな」
 ニキが言う。
「ここにいたって同じだろう」
 ナガハマは顔を上げ、前の川原を睨む。荒れた岩場の間にかぼそい草が数本風になびいている。その向こうに水の音。
「賭けだぞ」
「他に道があるか」
 と、ニキ。そうだな、とナガハマは呟いた。後には戻れない。立ち止まってもいられない。
「ニキ、ゴンド、先に行け。ダンダは左、俺は右を走る」
 ニキとゴンドの二人は何も言わず、子供を再び背負うと走りだした。ダンダがそれに続く。ナガハマも身を起こし、尼の手を引いて走った。
 ナガハマの判断は決して賢明なものではなかった。彼自身それは良く解っていた。他の男達も知っていた。だが、タイミングは悪くなかった。寄せ手はまだ森の中に残っていた。僅かな差だったが、それが幾分か彼らに味方するだろう。だが、その幸運もすぐに尽きる。
 ニキが足を撃ち抜かれた。骨は外れていたが、態勢を崩して岩場に手をつく。大丈夫か、と声をかける間も惜しんで、ナガハマは彼の背中から子供を取り上げた。
「尼さん、肩を」
「置いていけ」
「うるさい。殺すぞ」
 ナガハマの荒げた声には無関心にユキカ尼が手をさしのばす。ニキはその手にすがった。水を跳ね上げる音。ゴンドが川に届いた。次いでダンダ。その後をナガハマとニキ、ユキカ尼が追う。だが、ナガハマはニキと尼が気になり、足が鈍った。構うな、とニキが繰り返す。周囲の岩から破片が飛び散る。
「いいからさっさと行っちまえ」
 ニキがうめいた時、行く手の川面に水柱が一斉に走った。振りかえったナガハマは、森の暗がりから溶け出すように敵兵達が現れるのを見た。お互い両手を広げた程度の幅を保って散らばり、銃を構えている。その銃口はまっすぐ彼らに向けられていた。
 僅かに後じさると、ナガハマのくるぶしが水に浸かった。刺すように冷たい流れだった。ニキとユキカ尼は凍りついたように動かない。ナガハマは子供を降ろすと、背中にかばった。
 ゴンドとダンダは無事対岸に隠れただろうか。ナガハマは思う。せめてゴンドが背負った子供だけでも生き延びなければ、俺達は無駄に血を流したことになる。いたずらに手を汚したことになる。ミッションの意味が喪われる。
 敵兵の列は二歩、三歩と前に進み、そして歩みを止めた。

'The Mission'
Satoshi Saitou
Create : 1999.09.13
Publish: 2010.07.28
Edition: 2
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