4.ついせき

「209から01。公園の男を発見」
 自転車のワイヤーキーを外しながら葵は報告する。桂は男の向かった先を見つめていた。
『01から209、防犯要員を送る。そちらに引き継げ』
「見失ってしまうわ」
『213の画で位置は解った。フォローする』
「こないだブラックアウトさせられたんでしょ」
 桂が葵を見下ろした。サングラスで表情は解らないが、口元が歪んでいる。
『‥‥解った。209、213、目視で追跡しろ。必ず防犯要員に引継ぎ、そこで手を引け。お前達は尾行の訓練は受けていないだろう』
 葵はトロント警察勤務の時に受けている、と言い返しそうになったが、思いとどまった。結果を見せてやればいい。
「了解」
『‥‥時間はまだある。危険を感じたらすぐに引け』
 葵は自転車を押した。
「桂、このまま追える? 私はわき道から先回りする。適当な時に交代しましょう」
「そうね」
 葵はサングラスの裏側に、桂のサングラスが捉えている画像を薄く表示させた。そのまま小走りに先を急ぐと、適当な路地に折れた。桂は人ごみの流れにのって歩き始めている。葵は桂からの映像を見つめないように注意した。酔いそうになるからだ。
 ゴミバケツや地面に寝かされたままの看板を避けながら路地を抜ける。モールから出ればそこはオフィスビルが並ぶ平凡な街並みに変わる。モールに参加している店が共同出資して運営している物流センターが少し離れたところに見えていた。
 葵は自転車に跨り、ギアを下げた。速度は出ないが、コントロールしやすくなる。
『213から209。目標は弥生町に入った』
「209了解」
 葵は歩行者を避けながら歩道を走る。葵は横浜橋まで先に出るつもりだった。そこの交差点で、桂から尾行を引き継ぐ。
『01から209、213へ。保安要員が展開中。手を引け』
『213了解』
「209了解」
 しかし、葵は脚を止めなかった。手を引くつもりはなかった。いつまでも〈ナイチンゲール〉をやってはいられない。
『01から209、213。現場を離れろ』
「今離脱中よ」
 桂の映像を見る限り、桂自身も追跡をやめてはいないようだった。
「209から01、目標を追って、そしてどうするつもり?」
『事情を聞かせてもらうつもりだ』
「了解」
 それなら、わざわざ大人数を投入することもない。こちらには自転車がある。相手は徒歩だ。
 ギアを上げ、車道に下りる。脚に力をこめ、一気に速度を上げた。路肩に止めてあるスモーク張りのボックスバン2台を追い抜く。横浜橋交差点は目前にある。アラームが鳴った。信号は赤を点している。
 葵は膝を伸ばしてペダルの上に立ち上がった。腕を思い切り引いて前輪を上げ、歩道に乗る。アラームは消えた。ブレーキ、ギアダウン。歩行者が数人、避けて角を曲がる。
 その時、路肩に止まっていたボックスバンから人が出てくるのが横目に見えた。葵は良く見ようとブレーキ。一瞥して、再び走りはじめる。
「209から01、保安要員をイセザキモール横浜橋付近にかき集めて」
『209、何だ。離脱しろ』
「C47を確認。2名。周囲にクランが展開している可能性あり」
『‥‥そちらの画を確認した。01から209。離脱し、周辺で待機』
「213を回収して離脱する」
『213から209。目標は足を止めてる』
「213、サングラスを外して」
『何?』
 葵のサングラスに映るビジョンに、C47のクランが数人現れた。目標にゆっくりと近づいている。
「桂、サングラスを外すのよ」
 ギアを上げる。車道に飛び降りた。葵はサングラスを外し、胸元に押し込む。目標が目の前にいた。ビルの角に突っ立っている。反対の角からはC47のクランが二人。長袖のシャツにジーンズ。
 目標がクランに気づいた。近づくのを待ち構えている。
「01、目標はC47と接触する」
『213から01、画は‥‥』
『01から213。危険だ。離脱しろ』
 しかし、目標に接触したクラン二人は何かに気づいたようだった。ビルの陰、桂のいる方向に視線を送っている。その表情がはっきりと解る。目標は逃げ腰になっている。
「213、伏せて!」
 葵は叫ぶ。その時、クラン二人が腕を前に伸ばした。その袖口から銃が飛び出す。
『01から全員。今の音は』
「209から01、クラン発砲」
 葵は速度を増してクランの後を走り抜け、二人を巻くようにして左折。銃声がして、後頭部を殴られたような衝撃を感じる。
『213から01‥‥アンビュランス』
 通行人達は皆地面に伏せている。その中で壁に寄りかかった桂の姿は良く目立った。葵と目が合う。しかし、そのまま崩れ落ちた。壁に血を引く。
「209から01。213負傷」
『01から209、213。A7、A8が急行中。自分の安全を確保しろ』
 しかし葵は司令部からの応答を聞いてはいなかった。フルブレーキをかけて後輪を滑らし、そのまま路面に倒れこむ。アスファルトがはじけた。
 伏せたまま首をめぐらし縁石越しに桂を見上げる。右半身が朱に染まっていた。息はあるが、意識が無い。
 上空にヘリの音が近づいているのが解った。県警の監視ヘリだろう。葵はC47の方を見る。クラン達は目標に銃を突きつけて移動させようとしていたが、目標は抵抗していた。
 葵は腰を低くしたまま、ビルの壁際へ走った。クラン達はビルの陰に移ろうとしている。先ほどのボックスバンが足なのだろう。
 後を振り返る。桂は虫の息だった。唇が紫色に変わっている。しかし、今の装備では対応できない。
「209から01。213は肺損傷。チアノーゼ発生。トリアージ、レッド」
『01から209。A8が1分以内に到着可能』
 それを聞き、葵は大きく息を吐いた。しばらく桂を見つめていたが、視線を無理やり引き剥がす。そしてポーチから注射器を取り出すと、シリンダーを握った。クラン達の姿が通りの角に消えると走り出した。
 曲がり角で壁に身を寄せ、息を整える。腰を落とし、気配で角の向こうの様子を感じようとする。無論、解るはずもない。永くは待てない。
 葵は角を飛び出した。
 クラン達は10メートル程先。葵の側を見ている者はいない。例の目標は最後尾のクランに脅されるように歩いている。服は針が通らないかもしれない。葵は警告も与えず、最後尾を歩く男の首筋に突き立てる。クランは声を上げた。葵は背後から手を伸ばし、男の右手を握る。
 全てがスローモーションのように見える。
 目標は振り向き、葵と目が合うと、身を翻して車道に飛び出した。さらに前を歩くクラン達は振り返り、即座に発砲する。葵は掴んだ男を盾にした。それ以上のことは何もできない。男の銃にはトリガがなかった。神経結合している。葵には使えない。
『A7から209。伏せろ』
 反射的にしゃがむ。軽い破裂音と同時に頭上を幾筋もの白煙が延びた。クラン側から銃声。しかし破裂音は止まない。葵は背後にAユニットが通りを塞いでいるのを見た。屋根が浮いて、そこからグレネードの発射筒がのぞいている。
 葵は刺激臭に鼻と口を手で塞いだ。
 A7は催涙弾を撃ちながら、通りに入る。クランの銃撃を浴びて、その外装に幾つも穴があいたが、A7の動きにためらいのようなものはなかった。あるはずもなかった。
『A8から01』葵ははっとする。『213回収。他に負傷者なし。浦舟へ緊急搬送』
 A7が横を通り過ぎる。もう銃声は聞こえない。葵はクランの死体を捨てて立ち上がる。
A7の陰から目標が表れた。コラーゲンパッチをまだ頬にあてている。パッチはよく肌に馴染んでいた。
『また助けられたよ』
 聞きなれない声。葵は混乱する。目標が微笑んだ。
『01から全員。今のは誰だ』
『それじゃ』
「止まりなさい!」
 目標はイセザキモールの方へ走った。葵は追いかけようとして、転んだ。右足のふくらはぎが大きく裂けている。肉をえぐられていた。
 葵は急いでポーチからコラーゲンパッチを取り出し、傷口に押し当てる。ゴムバンドを使って、膝の少し下をかるく縛った。涙がこぼれる。痛みではない。痛みの為ではなかった。

'Aoi'
Satoshi Saitou
Create : 2001.01.11
Publish: 2010.07.09
Edition: 2
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