桂との待ち合わせ場所に、葵は(当然)自転車で向かった。「センソリウム・ナイン」はイセゼキモールの外れにある。歴史ある、言い換えれば、どこかひなびた感じを拭えないショッピング・モールは適度に賑わっていた。伊勢崎町は交通アクセスに恵まれた土地ではない。郊外から押し寄せる買い物客の大群は殆どが横浜駅周辺に吸収される。ここまで来るのは大半が土地の人間だった。
葵は「センソリウム・ナイン」の前で自転車を止めた。しかし、降りない。サドルに跨ったまま爪先立ちになる。店員の視線を店のウィンドウ越しに感じた。葵はサングラスをかけたまま、無表情で視線の主を見つめ返す。年配の女性オーナーが避けるように視線を逸らした。
「何ガンたれてるのよ」
背後から突然呼びかけられ、葵は動揺した。バランスを崩しかけ、慌ててハンドルを掴む。桂の声だった。
「ガン垂れるって‥‥何よ」
ブレーキを握り締めながら、なんとか葵は答えた。
「スラングよ。カナダではどう言っていたのか知らないわ。睨み付ける、ってことよ」
「別に睨んでなんかない。ただ見ていただけ」
「サングラスをかけて? 迫力あったわよ」
「よしてよ」
言いながら自転車を降りた。桂に言われる。
「相変わらずの格好よね」
半袖のTシャツ、ホットパンツ、ケブラー織のスパッツ、腕の半ばまでを覆う指の無い手袋、圧力感応素材を使ったスニーカー、サングラスにヘルメット、そしてランバーバック。白い腿はむきだしのままだった。
「対UVファンデーションは使ってるわよ」
「そういう意味じゃなくて‥‥場違いじゃない」
葵は肩をすくめた。
「知ったことじゃないわ」
「相変わらずよね」
桂は小さく笑う。そういう彼女は薄緑色の半透明のロングコートを羽織り、桜色のブラウスにこげ茶のタイトスカート、白のタイツにパンプスを履いていた。スタイルはクラシックだが、素材が曲者だった。例えばロングコートは織布ではなく、立体成型フィルムだった。薄い幾つものポリマー層を重ねて、透湿性や防滴機能を持たせている。それに紫外線や医療用X線程度なら反射した。そういう知識なら葵にも持ち合わせがある。ただ、趣味ではなかった。
「カナダにいたときもそうだったの? 前にも聞いたっけ」
「たぶんね」
葵はヘルメットを脱いで、サドルポールに取り付けられたキャリアに固定した。ふと、微笑む。
「気にしないで。向こうにいたときからこうだったんだから」
「相変わらずなわけね」
「そう。生まれつき」
桂は笑った。
「じゃ、行こう」
自転車を挟み、並んで歩き出す。真夏の午後の日差し。やや赤みを帯びた陽光を浴びて、真昼なのに街の景色はどことなく物憂く、しらけている。個人経営の店舗が並び、ウィンドーの中にはニュークチュールを謳う、妙に懐かしいデザインの婦人服、婦人靴、アンティークを模した陶器に灯器、あるいはモダンな時計を並べた店。ブロードバンドを備えた喫茶店。中からコーヒー豆が薫る。
ここにしようか、と桂が一つの喫茶店を指差す。葵はうなずいた。
「電磁遮蔽されてないわよね」
「仕事忘れたら?」
桂は笑う。葵はサングラスを叩いた。
「今もつながってるのよ」
「うかつなことは言えないわね」
葵はそれに答えず、自転車を店の前の街灯にたてかけ、ワイヤーロックをまわした。
「監視はわたしたちの本職じゃない、でしょう」
アイスコーヒーの入った銅のマグを前にして桂が言った。窓際の席。ガラスはミラーコートされていて、外からは見えない。テーブルの隅に小さなビューワーが写真立てのように置いてあって、VRxモデル俳優の私生活や企業買収劇や世界の都市部で繰り広げられる〈ノマド〉と警察組織との抗争がザップされていた。脈絡も何もあったものではないが、今伝えられようとしているダイジェストは直感的にわかった。
「監視じゃないわ。探しているのよ」
「気になる彼を」
葵は苦笑して首を振った。
「どういう意味?」
「言葉通り」
葵はサングラスを外して、窓のさんに置いた。桂はにやりと笑う。二人揃ってアイスコーヒーを飲んだ。
「占ってあげようか」
「何?」
「彼と再会できるかどうか、占ってあげようか」
「タロー? ホロスコープ? それとも筮竹?」
「わたしはまじめよ」
笑いながら桂は腰の辺りに手をやり、薄い袋を取り出した。テーブルに置く。
「ホロニックスコープよ。知らない?」
「それって、ものすごくウサンクサク聞こえるわ」
桂は笑って相手にしない。
「古今東西、全ての占いは森羅万象、マクロコスモスを、テーブルの上で足りるような小さなコスモスで表現しようとしたのよ。あるいは、人間の脳みそで理解できる程度のサイズに収めようとしたわけ」
葵は黙って聞いている。桂は袋の口をゆるめた。中からラミネートカードの束を出す。
「タロットはカードの組み合わせがマクロコスモスを反映していると考えた‥‥」
「そして、連続して、繰り返し占わないようにという注意書きがついた」
桂はにやりと笑う。
「ホロスコープは星の運行とマクロコスモスの間に対応関係があると考えた。筮竹占い、手相、人相、ソリティアからコーヒー占い。どれも根っこは同じ。マクロコスモスを小さな世界に閉じ込めようとした。そういう宇宙観に基づくわけね」
「でも、根拠なんて無いじゃない」
「信じようと思えば何だって信じられるものよ」
葵は吹き出した。桂はカードの束をシャッフルする。
「ホロニックスコープは、タロットのアレンジよ。改良版。最近の宇宙観に適応させたということ。今のシャッフルはイニシャライズと呼ばれてる。このシャッフルで、現在のマクロコスモスが反映される。占いのキーワードは再会。出会い、とか継続とか、そうした単語がキーになる」
桂はカードを切り続ける。
「カードを展開していくわね。まずは過去のアスペクト」
月と蟹の2枚。
「月はイマジネーションとか直観とか。蟹は‥‥蟹なんてカードあったかしら」
「タロットとは違うのよ。蟹はずるさ、とか弱さ。月は、そうね、感性。あまりいい雰囲気じゃないわね」
桂がカードの束を葵に差し出す。
「今度はあなたがシャッフルして。あなたに特化したアスペクトを反映させるの。カスタマイズするのよ」
葵は微苦笑しながらカードを受け取り、シャッフルした。
「これでいい?」
「上から2枚めくって。将来のアスペクトを出すから」
言われたままめくる。「剣」と「恋人達」。
「何これ」
「この組み合わせじゃ、甘いムードじゃないわね。再会の暗示はあるけど、緊張感がある」
「あんまりありがたくないな。どこにいるのか解らないじゃない」
「それは占いのキーワードをかえないと。キーワードは場所、ね」
桂はカードを集め、再びシャッフルする。そして桂に渡した。
「今度は現在のアスペクトしか出さないから、直接あなたがシャッフルしてめくって。2枚」
「塔」と「星」。
「ランドマークタワーにでもいるの?」
「違うわよ。塔と星の関係よ。近いわ」
「でも、そのタワーって、バベルの塔でしょ? ‥‥どっちかと言えばランドマークに似てるわね」
「カード個々のシンボルに注目するんじゃなくて、カード間の関係を読み取るのよ。タワーと星は近いでしょ」
「でも、手が届かない?」
「そこまで意味が拾えるかどうか。‥‥本格的にやるなら過去、現在と現在とり得る選択肢に応じた将来のアスペクトを出していかないと」
「将来が一つじゃないの」
「ホロニックスコープでは、未来は1つに確定していないの。信憑性あるでしょ」
葵は肩をすくめた。窓の向こうに眼をやる。葵の目の前を、こないだ公園から消えた男が横切ろうとしていた。
「いた」
桂が眼を丸くして葵を見つめた。
「嘘」
葵はサングラスを取ってかける。
「ごめん、払っといて。後で清算する」
「わたしも付き合うわ」
桂はイヤホンを耳に押し込んだ。