ゲームコクーン
5.

 調整された歌声が響く。ネットで何度も耳にする歌声。氷青の新曲だった。周囲のテーブルには社宅街の若いカップルや学生達がたむろっていて、榊は少々浮いた存在になっている。榊は装着端末をつかって囁く。
「‥‥現行犯で確保したのですが、逃げられました」
『ふん、そうか』
 橿原が答えた。
「パッドは押収しました。李朱花のパッドに残っていた認識IDと一致します」
『犯人を逃がしたのは手落ちだな。それでは契約通りの支払いというわけにはいかんな』
「残念ですね」榊はほくそ笑んだ。「ところで橿原部長、李はNTNにとっての何です?」
『個人的な知り合いというだけだよ』
「李はずいぶん羽振りが良いようでしたが」
『榊、我々のやることを詮索するな。それが生き残る道だ。‥‥全額支払っておく。だからその薄汚い顔をひっこめておけ』
「心得ておきましょう」
 榊は通信を切った。店内のカウンターから水口がトレイを手に戻ってきた。
「お待たせ」
 トレイをテーブルの上に置く。トレイの上にはハンバーグの包みが3つと、巨大な器に盛り付けられたストロベリーパワーサンデーが載っていた。ご丁寧にドライアイスが器にそって並べられている。クリームが凍ってしまっていた。
「これ、お前が食うのか」
 榊は甘ったるい巨大なアイスクリームの塊を指差して言った。一口食べただけで尿に糖が出そうだ。
「ううん」水口は首を横に振った。「明の。わたしはハンバーグだけでいいから。存分に食べてちょうだい。あんなに活躍したんですもの。‥‥優しいでしょう。わたしって」
「涙が出そうだよ」
「じゃあ、泣いて見せて」
 榊は軽く天を振り仰いで見せると、ハンバーグを手に取った。食欲を無くす前にまともなものを食っておかねば。
「‥‥ねぇ、あの子、やっぱり捕まえるの?」
 水口が小声で訊いた。榊は首を振る。
「いや。放っておくさ。しばらくはハックする気もしないだろう」
「NTNは‥‥」
「警戒はするだろうさ。だが、金銭的被害はないし、見せしめにしたいほど大物ってわけでもない。ただの舞い上がったガキが相手じゃ、本気にはなれないだろう」
「舞い上がった、なんて、冷たいのね」
 榊はハンバーグをゆっくりと噛み下してから答える。
「あんなことを続けていれば、あいつは遅かれ早かれ回線詐欺から一歩進んで、YSPネットワークに色目を使うようになるだろう。そうなったらNTNもYSP/IPも容赦しない。今のうちで良かったのさ」
「なんかあの子たちに悪いことをしたって気がしない?」
「現実は残酷なもんさ。いつだってね。お前だって知っているはずだ」
 榊にそう言われて水口はぎょっとなった。
「そうね。‥‥でも、汚れ仕事じゃない。今回のは」
「現実が汚泥なら、そこが仕事場のおれたちだって泥まみれになるのは当たり前だろう」
「やっぱり明は冷たいわよ」
 榊は肩をすくめる。
「誰だってああいう瞬間はあるはずだよ。おれには覚えがある。お前にもあるはずだ。ゲームはいずれ終わる。いずれはコクーンから出ることになるんだ。‥‥裕子、あいつのパッドは持っているよな」
「ええ」
「NTNに引き渡す前に、最後の通話、ファイルにして吸い出せ」
「どうするの」
「あいつが欲しがるかどうかはともかくとして、とりあえず持っていってやるんだよ」
 水口は満面に笑みを浮かべた。
「明のそういうところ、好きだよ」
「それじゃあ、大好きなおまえにこれを譲るよ」
 榊はそういって、アイスクリームの器を指した。
「だーめ」
 榊はうめいた。

'Game Cocoon'
Satoshi Saitou
Create : 1996.02.10
Publish: 2010.07.05
Edition: 2
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