■森美で7/13まで「ターナー賞の歩み展」が行われていて、例によって観に行きました。名前はどこかで聞いていましたが、具体的にどうこういうのは知りませんでした。なんとなく美術の賞というと古典絵画っぽくて、堅苦しい感じのものを連想して勝手に苦手意識を持っていたのですが、結果からすればそういうものではありませんでした。
「ターナー賞の歩み」は時間軸に沿い、順を追って作品展示が行われていて、受賞作品の傾向が次第次第に変化していくのが解りました。俗な言い方をすれば、「過激」になっていくようで、穏便に言えば、表現方法の自由度が広がっていく傾向があったと言えるように思いました。
いくつかはどこかの展示で観たような、それこそ森美がついこの前開催していた「アートは心のためにある」展で見かけたもの("DEATH AFTER LIFE"/GILBERT&GEORGE 1984)もありました。目玉の一つはデミアン・ハーストの牛("MOTHER AND CHILD, DIVIDED"/DAMIEN HIRST 1993)でしょう。切断面がきれいで驚いたのですが、断面はさすがに茶色く変色していて、生々しさはありませんでした。一般に見慣れた「牛」としての外観の中に隠され、日常生活の中では意識されない生体メカニズムの露出、それをクールな印象を与えるホルマリン水槽でシステマティックに展示していて、工業的に扱われる生物のありようを見せています。これなら確かに培養肉に移行してしまったほうがいいのかもしれない。
他はグレイソン・ペリーの壺("GOLDEN GHOSTS"/GRAYSON PERRY 2001)が一見古びた壺のような見せ掛けで、実はアクチュアルなモチーフを使っていたというのが印象的。
とか何とか、ふうんと見て廻っていたのですが、会場出口付近にしれっとMAMプロジェクト007というのがありまして、中を覗いてみたらビデオ展示されていました。
これがサスキア・オルドウォーバース(SASKIA OLDE WOLBERGS)の「偽薬(Placebo(2003))」で、ぱっと見よくあるCGかと思うような端整な映像なんですが、場面転換でどうにもCGでは無茶っぽい(モデリングとレンダリングで死にそうな)映像になってこれが実写であることに気が付く。
「偽薬」は嘘の経歴を持っているらしい愛人を回想する看護婦の独白で、しかし映像は具体的なシーンを映してはいない。壁面へのプロジェクタ映像にしては解像度が高い感じ印象で、雰囲気的には看護婦の内面を連想させるような絵作りをしている。
語られる愛人のエピソードはどうも詐欺っぽいというか、虚言癖があったんじゃないかと思わせるもので、看護婦自身自覚しているようにあやふやな印象。映像はその印象に合わせたように脆く、危うげな見せ掛けを続け、最後の決定的な瞬間で綺麗に吹き飛ぶのは見事としか言いようがない。
もう一つ展示されていたのは「キロワット・ダイナスティー(Kilowatt Dynasty(2001))」で、なんとなく濁った池の底を思わせるような色彩。こちらは至近未来の物語で、三峡ダムの水底にある放送センターから送られる通販番組「キロワット・ダイナスティー」を舞台にしたちょっとした事件について語られる。
ストーリーやテーマそのものにそれほど目新しさはない。行き着いた資本主義やメディアが生み出す自己疎外はそれだけだと今更という気はどうしてもする。でも実写感はあるのだけど抽象的な映像にひっぱられて延々と見続けてしまう。
資本主義だのメディアだのよりこの映像の方が危険なんじゃないの。